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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 深いふれあい (マルコ7:31–37)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-07-09 18:00:00 (79 ヒット)
週報巻頭言

イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出した。(マルコ7:36)

ガリラヤの海辺での出来事。イエスの評判ももうずいぶんと行きわたっていたようです。そこで主イエスは1人の口がきけず耳が聞こえない男と出会います。人々がこの男をイエスの所に連れてきたからでした。人々とは家族でしょうか。友人たちでしょうか。もしかすると、近頃評判のイエスという人物の癒やしの奇跡を自分の目で見たくてこの聾唖者を連れて来た人々でしょうか。どちらも否定はできません。気持ちの点では、慮(おもんばか)りと興味、そのどちらも混じっていたに違いありません。
 主イエスが最初になさったことは、彼とふたりきりになることでした。群衆の中から連れ出して向かい合うことでした。主イエスが本当にあらわしたかったのは奇跡的な力ではなかったのです。萎えた手が動く、見えない目が開くといった身体的なことはもちろん大切ですが、主イエスは、神とその人の人格的交わり、神に対する信仰がその人の中に立ち起こることでした。主は常に、「私の力があなたを救った」とおっしゃらないで、「あなたの信仰があなたを救った」と仰います。その人の生きる喜びの回復、神を讃美して生きる人生を起こしておられるのです。だから、主イエスは、「病気や病人」を見ようとしたのではないのです。主イエスは、「苦しむ人間」を見ようとしたのでもないのです。主は、「あなた(つまり、わたし)」を見ようとしたのです。あなた(わたし)を問題にしてくださっているのです。
 私という自分にとって本当に問題なのは、首相官邸の住人が変わることでも、永田町が変わることでもありません。私にとって本当に大切なのは、私の心が日々新しくなることです。私の心に喜びが起こり、私の心に信仰が産まれ、私の心に感謝が宿ることです。主に関わっていただきたいのは、あそこではなく、ここなのです。
 主イエスは、私と一対一になられようとしてくださいます。まず、そこから始めてくださいます。その主イエスの私を見る目を通して、私も私自身をまっすぐ見ていくことに気づかされていくのです。主イエスに出会うということは、実は、自分と向き合う力を与えられていくということです。そして、そこから、私たちは、他者と向き合うときの大切なまなざしを学びはじめるのです。(吉高叶)

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