はじめての方へ
メニュー


このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 自由への遠い道 (出エジプト16:1–30)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-10-29 18:00:00 (15 ヒット)
週報巻頭言

しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。 (出エジプト16:18)

イスラエルの民は、神の強い手によって奴隷の生活から導き出され、あしの海で戦車隊から救われました。しかし、自由という神の恵みの贈り物を正しく受け取るのは難しいことです。民は困難にぶつかるたびに奴隷の身分に戻ろうとします。労働に追い使われる苦しみは忘れて、「肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられた」ことばかり懐かしむのです。奴隷に戻る自由も、自己矛盾ではありますが確かにあります。しかしそれは神のみ心ではないでしょう。自由をどう生きるのか。大きな問いです。神かららしんばんを示していただかなければ、とまどうばかりです。
 モーセは、神が民に答えて夕べには肉、朝にはパンをくださると人々に予告し、予告どおりうずらとマナが与えられます。この言い伝えは古いらしく、民数記11:31以下にも記されますが、そこではうずらを食べた者が疫病に倒れたとあるのに対し、ここでは13節にひと言触れるだけでその結果は記されていません。ひたすら神の恵みを語ろうとしています。露が蒸発したあとに食べ物が現れるのも奇跡なら、余る者も足りない者もいなかったのも神の国を先取りするかのような奇跡です。自由を生きるとは、互いに配慮し、必要を満たし合うことだと教えられます。
 また、自由を生きることは、七日ごとに労働を休むという形でも現れます。安息を命じられた神さまは、六日目に2倍の量が与えられたかと思うと、七日目には何も見つからないようにされます。しかし休むということは、休みなく働かされてきた奴隷たちにとって非常に難しいことでした。いや、わたしたちも同じかもしれません。E・フロムは、リラックスしていすに座り、目を閉じ、じゃましてくる映像や想念をすべて追い払って自然に呼吸をする練習を勧めています。呼吸を感じ、自分を感じ取れるまで、朝晩20分ずつかけるようにと。そんな時間はないと私は思ってしまうのですが、そのあたりがまさに何かの奴隷になっている証拠なのかもしれません。過労死の国で自由を生きることの難しさを思います。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


印刷用ページ 

市川八幡キリスト教会 千葉県市川市八幡2-1-10 電話047-332-5197
Theme Desinged by 工房ヒラム