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このサイトは日本聖書協会発行の
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 頼ること、自立すること (出エジプト17:1–7)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-11-05 18:00:00 (11 ヒット)
週報巻頭言

なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。 (出エジプト17:3)

奴隷のくびきからは解放されたものの、荒野の旅は困難でした。食べ物の欠乏に続いて、水がなくなります。これもまた重大な問題です。例によって、民はモーセと「争い」、「不平を述べ」てモーセが彼らをエジプトから導き出したことを非難します。モーセが「わたしも子どもたちも、家畜までも渇きで殺す」ことをねらっていたのだと邪推するのもいつものとおりです。しかし、どうしろと言うのでしょうか。エジプトで奴隷として追い使われ、苦しみの叫びを上げたのは彼ら自身だったのですが、エジプトを出てみると苦しいなりに最低限の保障はあったかつての古巣が恋しく思えるようです。
 自由とは冒険、すなわち危険を冒すことにほかなりません。しかし、民にはまだモーセと共に冒険に乗り出す用意がないのです。彼らを自立した信仰者と呼ぶことはまだできません。頼るべき方を知り、その方に叫ぶことを心得ているモーセとは対照的です。ただ、モーセをなじるのがモーセに頼るしかない立場の裏返しだとすれば、真に頼れる方との出会いによってこの民も変わっていく望みがあります。モーセにしても、いろいろと理由を挙げて何とか神の召しを拒もうとしていたのに、今は頼るべき方に叫ぶことができるのです。ひるがえって、わたしたちは何を頼っているでしょうか。頼りのものから切り離されたらどう感じるでしょうか。例えばお金。あるいは会社。あるいは国家。わたしたちはほんとうに自由なのでしょうか。
 メリバの水の話は民数記20章にも伝えられ、そこではモーセとアロンが「この岩からあなたたちのためにわたしたちが水を出さねばならないのか」と栄光を主から横取りする言辞を吐いて岩を2度打ったため、アロンは死に、モーセも約束の地に入れなくなります。しかし、出エジプト記の段階ではまだそのような懲罰はありません。律法が与えられる以前の彼らは「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求め」(第一ペトロ2:2)る段階にいます。頼るべき方を知って初めて人は自立へと進むのでしょう。(高市和久)

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