はじめての方へ
メニュー


このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 土の器に注がれた愛 (創世記2:4後半–25)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-12-03 18:00:00 (6 ヒット)
週報巻頭言

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 (創世記2:7)

イエス・キリストがわたしたち人間の救いのために世に来られたクリスマスが近づいてきました。主が救おうとされた人間とは、そもそも何でしょうか。聖書の創造物語はその問いに意味深い答えを与えてくれます。第1に、人間は金銀宝石ではなく土からできています。昔の人は、愛する者を葬るとまもなく土に帰ってしまうという痛切な経験を通してそのことを学んだのでしょう。この物語が書かれたのはソロモン王の時代と言われます。貿易による空前絶後の繁栄に酔いしれる人々に、どんなに身を飾ろうとも人は土にすぎないという事実を突きつけたのです。
 第2に、しかし神は土である人間をいとわれません。命の息を「吹き入れる」と言うからには、神にも人と同じように鼻や口があると考えざるをえません。そして人は神に口づけされて生まれてきたのだとも。このひと言に、神の深い愛がみごとに表現されています。これがわたしたち皆の祖先です。体を重荷とのみ考え、霊魂の解放を望んだ人たちもいましたが、聖書は人間の体につきまとう病や死という現実を見つめながらも神の愛に慰めを見いだすように招き、弱さの中に現れる神の力をあかししています。
 第3に、人間はひとりで人間になることはできません。助け合い、共に生きる相手がいて初めて人間と呼べるものになるのです。この物語はなぜ男と女がいるのかという問いにも答えようとしていますが、夫婦の関係に限らない、人間のより深い本質を語っています。人間という字も、人と人との関係の中に人間性があることを示しているでしょう。そうした関係もまた、体を通して経験されるものです。もしかすると現代人は理性に価値を置きすぎて人間が体であることの意味を見失っているかもしれません。そのゆがみは人間を能力で測るばかりで存在そのものの価値を知らないという形で、津久井やまゆり園の事件のような形で、表れてきます。イエス・キリストはそのような世界に来てくださいます。神の形でありながら、自分を無にして人間の姿で現れられたのです(フィリピ2:6–7)。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


印刷用ページ 

市川八幡キリスト教会 千葉県市川市八幡2-1-10 電話047-332-5197
Theme Desinged by 工房ヒラム