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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 命の水 (黙示録21:1–8)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-01-07 18:00:00 (14 ヒット)
週報巻頭言

渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。(黙示録21:6)

1世紀末、ローマ皇帝ドミティアヌスはエフェソに神殿を建てさせ、自分と妻と前2代の皇帝の巨大な像を立てさせました。この神殿のおかげでエフェソの市民は様々な特権と利益を得る一方、皇帝礼拝に参加しないキリスト者には敵意をいだき、迫害を加えるようになったと考えられます。現地のローマ総督も迫害を先導こそしなかったものの、告発を受ければ処刑をためらわなかったことは少し後の文献からも推測できます。この状況の中でパトモスという島に逃れたヨハネは、ある日曜日に幻を見ます。その内容は、神が恐るべき戦いの末に地上を支配する悪しき勢力を打ち倒し、迫害されているキリスト者を救い出されるというものでした。
 悪魔が火と硫黄の池に投げ込まれ、死者を吐き出した死と陰府がそのあとを追って、神の勝利で戦いの幕が閉じると、新しい天と新しい地が現れ、新しいエルサレムが天から下ってきます。天はもはや最初の天ではなく、地ももはや最初の地ではありません。天が新しくなるので神と人との関係が変わります。神が人と共に住まれ、人が神の民(複数形で、全世界の救いを示す)となり、神は彼らの神となられるのです。地が新しくなるので人の生も変わります。死も悲しみも労苦もない世界が出現するのです。神の国では、すべてが根本的に変わってしまいます。
 渇きもまた命の水の泉によって価なしにいやされます。水は生命の維持に欠かせないものです。ここに言う「命の水」は命の木に年に12回実を結ばせる奇跡的な水(22:1–2, エゼキエル47章参照)であると同時に、教会が経験している霊的な渇き、すなわち迫害の苦痛をいやし、恐怖を解くものでもあります。神は何の代価も要求なさいません。わたしたちの行いのゆえにではなく、ただイエス・キリストのゆえにわたしたちに勝利を差し出しておられます。ただ、それを受け取ることを選ばないでおくびょうや不誠実などに陥ることのないように、黙示録の時代のキリスト者は特に注意しなければなりませんでした。命の水の泉から飲ませていただく1年としたいと思います。(高市和久)

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