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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : わたしは聞いた (詩編62:1–13)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-02-04 18:00:00 (135 ヒット)
週報巻頭言

わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。(詩編62:2)

「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう」と作者は歌います。今はただ神のことばを待つしかありません。神はわたしの岩、わたしの救い、とりでの塔として語ってくださるはずです。動揺する理由はありません。どういう状況の中で作者は歌っているのでしょうか。敵対する者たちが一団となって襲いかかり、壁のように倒され、石垣のように崩されそうになっているのです。欺きを計らい、口先で祝福し、腹の底でのろっているのです。無実の人を神殿に訴えて命を奪おうとしているのでしょう。11節から見ると彼らはかなりの有力者だったようです。この状況の中でできるのは沈黙して神のことばを待つことだけだ、と作者は自分に言い聞かせます。神以外に希望はないからです。さらに「神はわたしの岩、わたしの救い、とりでの塔。わたしは動揺しない」との信仰告白を繰り返し、自分の救いと栄えは神にかかっていると訴えながら神の判決を待ちます。
 9節から明るい調子に転ずるのは、無罪の判決を得たからでしょう。そのときちょうど民が祭りに集まっていたのか、後日のことなのかはわかりませんが、作者は人々に神の恵みをあかしし、どのような時にも神に信頼するように勧めます。心を注ぎだすとは、思いを余すところなく語ることです(サム上1:15など)。神に語るのであって、人の子らに語るのではありません。彼らは頼りにならず、暴力や搾取や力も生きる支えにはなりません。神に語ることにだけ実りがあります。ただ、語りつくしたとき、人は聞かねばなりません。神が語り、作者は聞いたのです――力は神のものであり、慈しみもまた神にあることを。暴力をほしいままにする者たちにも、沈黙してただ神に向かう作者にも、神は正しく報われることを。
 信仰とは、単に神の存在を信じることではありません。むしろ祈ることです。祈りを通して人は神との交わりに置かれ、隣人との関係を正されます――心を注ぎだすことを通して、しかし同時にみことばを聞くことを通して。そのためには沈黙がなければなりません。心を静めて聞くことに努めたいと思います。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


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