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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 求めよ! 主イエスに! (マルコ10:46–52)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-02-18 18:00:00 (195 ヒット)
週報巻頭言

ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。(マルコ10:47)

盲人のバルティマイは、目が見えないことでたくさんの辛い目に遭い、たくさんのものを失ってきたと思います。それゆえに、彼には欲しいもの、して欲しいことが、いくらでもあったに違いありません。
 「何をしてほしいのか」。このことばを語り掛けてきたのが母親だったなら、彼は「母さん、疲れました。あたたかいスープをつくってください」と答えたかもしれません。父親だったなら「父さん、お願いです。息子の僕を嫌わないでください」と答えたかもしれません。問いかけたのが物乞い仲間だったなら「座る場所を、たまには人通りが多いところと替わってくれないか」と答えたかもしれません。尋ねたのがその街の名士なら「だんな、もう少し、はずんでくれませんか」と答えたのではないでしょうか。
 でも、彼がずっとずっと自分の生命の真ん中のところに抱え持ってきたもの、ほんとうに叫びたかったのは、「見えるようになりたい!」という叫びでした。でも、もうそれは無理だと折り合いを付け、ぐっと封印してきたのだと思います。求めに、望みに、鍵をかけた。それで生きてきたのだと思います。
 でも彼は、この永年封印してきた叫びをいま解き放つのです。なぜならイエス様が接近したことを彼は聞いたからです。バルティマイの心に何が響いたのかわかりません。なぜイエス様に対してそこまでの気持ちになったのかわかりません。ただ彼は、イエス様に対しては「ダビデの子」(メシアと同意味で使われていた言葉)と繰り返しています。このイエスこそが救い主であるとの確信と信頼が彼を動かしています。自分の求めの中心を初めて解き放ちぶつけることのできる方を見つけた。求めなければならない。わたしの求め、わたしの望み、わたしの救いを、いま、ここで、求めなければならない。バルティマイは今その確信にすべての体重をかけていきます。(吉高 叶)

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