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週報巻頭言
週報巻頭言 : 陰府を支配される方 (第一ペトロ3:18–22)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-05-13 18:00:00 (73 ヒット)
週報巻頭言

そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。(第一ペトロ3:19)

ペトロの第一の手紙は、1世紀末のアジア(現在のトルコ西部)に吹き荒れた皇帝崇拝と迫害のあらしの中で、キリストの苦難を思いつつ救いの希望に堅く立つように勧めています。18節と22節は整った韻律を持ち、賛歌の引用と考えられます。キリストは人々の罪のために苦しみ、正しい方でありながら正しくない者たちのために死なれた。それはわたしたちを神のもとへ導くためであった。この方は霊によってよみがえられ、その後天に昇り、神の右にあって天使たち、諸権威、諸勢力を支配しておられる――そう歌ったものです。
 その途中に、キリストが捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されたという説明が挟まります。キリストはノアの時代に神に従わず、箱舟に乗らなかった者たちに宣教されたというのです。彼らと違って、箱舟に乗った8人は水の中を通って救われました。ちょうどそのように、バプテスマの水をくぐったキリスト者が今救われようとしています。ただし、バプテスマは肉の汚れを取り除くことではなく、神に正しい良心を願い求めることであることには注意しなければなりません。
 いったいノアの時代に神に従わなかった霊たちとは何でしょうか。神の子ら(天使)が人間の娘たちに巨人を生ませたので(創世記6:1–4)神が怒り、ノアの曽祖父エノクを送って断罪させたという伝承との関連が指摘されています。この「神に従わなかった者たち」のところにキリストが行かれた結果どうなったかを説明することなく、話題はすぐバプテスマの意味に移っていくため、「宣教」とは救いの告知なのか、単に彼らの断罪の確認なのか、あるいは有罪とされた天使らの前でのキリストの勝利宣言なのか意見が分かれるところですが、「彼らが……霊において生きるようになるため」(4:6)から見て救いの告知と見るのが妥当でしょう。いずれにしても、キリストが陰府においてもまた主であられ、生きている者にも死んでいる者にもひとしく裁き主であられます。わたしたちは死者と直接交渉することはできませんが、キリストを通して死者との交わりに置かれているのです。(高市和久)

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