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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 養い、教えてくださる神(列王記上17:1-16)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-06-17 18:19:27 (36 ヒット)
週報巻頭言

ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川 のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしは烏に命じて、そこであなたを養わせる。
(列王記上 17:3‐4)

「エリヤ」という名前は「主は私の神」という意味です。それは正に主を神とせず、バアルを神としていたアハブ王をはじめイスラエルの人々のところに遣わされるべく名前です。バアルとは、カナン地方の天候を司る神として人々から崇められていました。人々は、農作物が育ちたくさん収穫ができるようにと、人が造った神バアルに雨を降らせるよう乞い願うのです。
エリヤは王に対し、その間違いを指摘し、露や雨を支配しているのはバアルではなく主なる神である!と宣言します。エリヤがこれほどまでに堂々としかも激しく時の権力に対して間違いを指摘したのですから、彼の身に危険が迫るのは当然のことです。アハブ王は、国の繁栄と自分の権威を維持するためにもエリヤに自分に都合が悪くなるような預言はしてほしくなかったのです。ですから最終的には実力行使に出てエリヤを捕まえて牢に監禁して強制的に彼の心と言葉を変えようしたのです。
神はエリヤをアハブ王の手から、そして、エリヤの預言どおり起こった干ばつから守り逃れさせるため、何もない場所(ケリトの川のほとり)に身を隠すように命じます。いくら神の命令でも何もない場所に行くのは不安です。それでもエリヤは主が言われたように直ちに行動しました。そして、一人になって不安で心細い状況に置かれ自分の無力さを知ることを通して、頼るべきは主のみであることを教えられるのです。
私たちも自分の無力さを知るとき、素直に神に助けを求めることができるのではないでしょうか。しかし、自分の周りに便利な物や頼れる親切な人がいると、時に私たちはそれらにばかり頼ってしまって、本来最初に頼るべきはずの神の存在を忘れてしまう。それが人間の弱さなのです。
私たちもエリヤのように、何もない荒野へ行け、と神から命じられることがあるかも知れません。それは神が私たちに、本当に頼るべきは誰なのかを知らせるためなのです。                         (松 準)


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