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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : イエスの眼差し(マルコ3:1-6)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-07-08 22:23:47 (57 ヒット)
週報巻頭言

イエスは手の萎(な)えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
(マルコ 3:3)

マルコ3:1以下に「手の萎えた人」が出てきます。当時のユダヤの社会においては、人が悲しみや辛い目に遭うのは、その人自身の罪に原因があると考えられていました。故にこの人も周囲の人々から「お前自身に問題があるのだ」という目で見られ、虐げられていたのです。しかし、イエス様はこの人に「真ん中に立ちなさい」と言われます(3節)。人々から虐げられ、いつも片隅に置かれた人を会堂の真ん中に置く。それはまるでこの人の救いこそが礼拝の中心であると宣言しているかのようです。イエス様のこの人を見る眼差しは、人々の非難の眼差しとは全く対照的です。馬鹿にし、無視するような冷たい眼差しではなく、憐れみ、受け入れ、支えようとする温かい眼差しです。
一方、その様子を非難の目で見ていた人たちの間に「安息日」を巡っての議論が起こります。イエス様は彼らに「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と問います。彼らにとって安息日に人を癒すことは悪いことであり、そのまま放置しておくことが良いことだったのです。それ故に彼らはイエス様の問いに対し沈黙したままでした。その彼らの態度に対してイエス様は怒り、また、悲しむのです。おそらく、イエス様の問いに対する答えはその場にいた誰もが分かっていたはず。しかし、律法・慣習・伝統の故に、それらに縛られていた人々は何も声を発することができなかったのです。そこにイエス様の怒りと悲しみが向けられるのです。
無理にこの安息日に癒すのではなく別の日に癒せば、このような衝突を避けることができたと思います。しかし、イエス様にとって、この安息日こそ苦しみを持つ人が解放されるのにふさわしいのです。律法を破ってでも一人の命を救うことにこそイエス様の本当の思いがあるのです。
この聖書の個所を通して私たちが問われ、教えられるのは、_燭問題を抱えたり、失敗したりして、非難や批判を浴びなければならない人に対する私たちのあり方です。∋笋燭措身が問題を抱えたときに、私たちに注がれているイエス様の眼差しです。
(松 準)


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