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このサイトは日本聖書協会発行の
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「土の器に納められた宝」 (コリントの信徒への手紙二 4章7節、16〜18節)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-09-17 19:30:55 (64 ヒット)
週報巻頭言

「土の器に納められた宝」
(コリントの信徒への手紙二 4章7節、16〜18節)

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。(2コリント4:7)

 今日は、敬老感謝を覚える礼拝です。人生に必ず訪れる老いをどう生きるのか、という問いは、すべての人にとって非常に大切なテーマです。敬老の日とは、国民の祝日に関する法律によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」とありますが、今日、私たちは長年にわたり社会に、そして、教会に尽くしてこられた75歳以上の方々の労をねぎらい、感謝し、長寿を祝うことを通して、私たちの主である神に心から感謝と讃美をささげたいと思います。
 
パウロは、自分の体を土の器に喩えています。土の器というのは、壊れやすく、不完全です。大変もろいものです。普通なら、そんな器に宝を納めるようなことはしません。私たちの体も歳を重ねることで、衰えを感じ、様々な病を患い、様々な能力を失っていきます。そういう意味で、私たちの体はパウロが言う土の器のようなものです。しかし、神様は、そんな土の器のような、もろく、壊れやすい、不完全な人間を通して、この世界に福音を語りかけておられるのです。並外れた偉大な力、すなわち、神の力、神の御心、神の言葉、福音が、私たち一人一人の中に納められているというのです。なんと大きい、深い憐れみでしょうか!
 神様は、私たちの不完全さや弱さを仕方なく、補ってくださるというのではなく、私たちの弱さ、愚かさ、ありのままの私たちをこそ、良しとされ、必要とされ、豊かに用いようとしておられるのです。
 老いを生きるということは、嘆くことではなく、さらに主から与えられる恵みと祝福への感謝に生きるということです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ書43:4 新改訳)

(松 準)


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