
イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
(マルコによる福音書 3:3)
福音書には23通りのイエスの奇跡物語があると言われています。私たちは奇跡物語を読むと驚くべき結果(病気が癒される、嵐が静まる等)に関心を集めてしまいがちです。この物語も手の萎えた人がイエスの言葉に従って手を伸ばしたとき、その手が元通りになった事に感動します。視点を変えるとイエスが語った「真ん中に立ちなさい」という言葉はその人の人生を変え、少なくとも周りの人々に影響を与えた言葉でした。障害を持っていた為に蔑まれ、社会から片隅に追いやられて生きてきた人が、彼自身も誤った律法解釈を植え付けられ、それを当然のこととしていた社会の呪縛から解放されたのです。この解放こそが主イエスに出会った彼にとっての救いです。
ここから彼の新しい人生が始まったと言えるでしょう。イエスが安息日に律法で許されていない治療行為をするのではないかと見張っていたファリサイ派や律法学者たちに対して、イエスは怒って彼らを見回しました。イエスは人々の人権・尊厳を侵害することに対して怒りを発したのです。見方を変えれば、その怒りは虐げられた人々への憐れみであり愛なのです。
先日分級で、メンバーの方から「旧約聖書の神はイスラエルばかり守るのですね。依怙贔屓(えこひいき)の神じゃないですか?」という率直な意見が出ました。
そうです!聖書の神、主イエスも依怙贔屓の神です。それはいつも弱い人々、貧しい人々、虐げられた人々の側に立つ神なのです。
主イエスも十字架を背負わされ、罵声を浴びせられ、鞭打たれながら、ただ一人でゲッセマネの丘に向かいました。十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか」と問いながら、全ての苦しみを担い死んでいったのです。そうしたイエスの生きざまと死にざまに対する神の肯定が「主イエスの復活」です。徹底して低くされた者と共に生き、自らをも低き者となって生き抜かれたイエスを神は善しとされたのです。 (眞嶋 豊)
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