
こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、 神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。
この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。
(コリント一 4:1-2)
し
パウロは、コリント教会の一部の人々の態度について「大金持ちのようだ」「王様のようだ」と言っています(8節)。どういうことでしょうか。
コリント教会の人々は、自分たちのことを、自分たちはキリストにつながる天からの聖霊を受けたのだから「もう何の束縛も受けない自由な人間だ」「自分たちはこの世の生きるための業や配慮からも解放された特別な存在だ。ただ聖霊の世界、天と結びついた霊的な存在なのだ」との自意識を持ち始めていました。どこか、世を蔑んでいた風潮がありました。そして自分たちを特別視し、「聖霊で満たされた私」という自己陶酔に陥っていました。
コリント教会のそうした人たちは、おおむね身分的には奴隷を使う自由な金持ちであったようで、たっぷりと与えられた自由な時間や、彼ら特有の知識と知恵とによって、自分の賢さと自由さを確かめる十分すぎる機会を与えられていたとも言えます。それゆえの問題ですが、彼らは自己を高めようとすればするほど「高ぶりの虜」となり、霊の世界を語れば語るほど「浮き世離れした人々」となり、観念の世界を論じれば論じるほど「偉人・聖人」となっていったのでした。そのあげく、賢い者たち、賢い言葉で語り合える者たち、インテリで自由で金のある者たちばかりのグループを教会の中に生んでしまっていたのでした。さらに、使徒たちの教えがどれほどのものだと言うのか、開拓者パウロの導きがどれほどのものだと言うのか。そんなものを越えて、われわれは、天の世界と直接に結びついた霊的な自由者なのだ、と主張していたのでした。
パウロは、そうした高ぶりを持ち始めたコリント教会の一部の人々に対して、決して傲慢になってはならない、まるで王様にでもなったかのように勘違いしてはいけない、私たち使徒のこと、わたしたち使徒が証しをしあなたがたに伝えたイエス・キリストの姿を思い出して欲しいと力説しているのが、今日お読みした聖書箇所です。
今日はこの箇所を通して、苦悩する使徒たちのことと、恵みの管理人としてのスチュワードシップのことをご一緒に考えてまいります。
臨時総会と役員選挙のことを祈りつつ。 (吉高 叶)
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