
「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
(使徒言行録 10:15)
出会い。それは私たちにとって、とてもワクワクする、そして嬉しい出来事です。今日、市川八幡教会の皆さまとご一緒に礼拝が出来ることを楽しみにしてきました。初めて出会う方、久しぶりにお会いする方、はたまた日常的にいつもお会いしている方(!)まで、今日、いろいろな出会いが与えられることを期待しています。
しかし出会いは、必ずしも嬉しくて楽しいことばかりではありません。時に、出会う者に驚きを与えたり、また拒絶したくなるような出会いを経験することもあります。その人との間にある違いによって、相手をまったく理解できず、その人を受け入れることが出来ないようなことさえあります。違いというものが、出会いという喜ばしい出来事を、そうではないもののように、私たちに感じさせてしまうのかもしれません。
イエスさまの生きた時代もそうでした。ユダヤ人と異邦人、男と女、障がい者とそうでない人。こうした様々な“違い”が明確に打ち出され、分断されていました。時には、相手を自分たちと同一化させるような暴力的なことさえ起こっていたようです。そして残念ながら、イエスさまの弟子たちを中心としていたはずの初代教会にも、こうした“違い”を受け入れようとしない空気が漂っていたのかもしれません。
エルサレム教会での迫害を受けて、一部の人たちはユダヤとは“違う”場所へと逃れ、そこで福音を宣べ伝えました。このようにして、福音はエルサレムから各地に広がりをみせていきます。しかし、自分たちこそが「本家本元」だと自負していたエルサレムの教会は、自分たちとは“違う”者たちが福音を信じることを歓迎していなかったようです。そこで遣わされたのがペトロです。ペトロは、エルサレム教会の伝統を守るようにと、ユダヤとは“違った”地域の人々に教えて回っていました。
そんなときに、彼は激しい空腹を憶え、幻を見ます。それは、これまで食べてきたものとは“違った”食べ物の幻でした。のちにペトロは、「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」(使徒10:34)と告白しています。いったい、ペトロに何が起こったのでしょう? ご一緒に考えてみたいと思います。 (松藤 一作)
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