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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「大いなる愛の誕生〜それはインマヌエル〜」(マタイによる福音書1章23節)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2018-12-24 20:16:37 (23 ヒット)
週報巻頭言

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ 1:23)

クリスマスの出来事は、とてもシンプルなメッセージを私たちに贈ってくれています。それは、神が人として生まれたということです。それは神さまが人間と全く同じ経験をこの地上でされるために生まれたということなのです。神さまが、一人の人間として、喜んだり、悲しんだり、笑ったり、泣いたり、苦しんだり、私もみなさんも生きていて体験していく、そのような体験をなさるということです。そして何と言っても、人生にどうしてもつきものの不条理や無情といった経験の中に神さまが生まれ、一緒に生きていてくださるということです。そうです。神さまが共にいてくださるということなのです。
 人間の世界にはどうしようもない欲望の力や残酷の力が働いています。ともすると、人間を生きにくくしてしまったり、生きづらくさせてしまったりします。でも、そのような力が取り巻いているところにイエス・キリストは生まれました。なぜなら、人間が生きることが嫌になってしまうような力や、歪んだ関係を、神さまはそのままにできないからです。希望をもてなくなってしまう人々のつらさを、神さまは一緒に分かちあいたいと願っておられるからです。
 「神さまなんだから、もともとそんな辛い出来事そのものをつくらなければ良かったじゃないか。」そう思う方もいらっしゃると思います。でも、神さまの思い通りに動かす世界、人間が神さまの思うままに支配されてしまう世界ならば、もともと、人間は人間ではなく、わたしはわたしではありません。人間が人間であるということは、わたしがわたしとして思うことができ、生きる道を選び取ることができるということです。でもそこにはどうしても、わたしの罪が起こり、欲望が力を持ち、間違いが起こり、そのため辛い目に会ったり会わせたりして、生きにくくなっていきます。それが巨大な力になって、構造のようになって人間をがんじがらめにします。欲望の力や残酷の力がすごく強くて、人間が人間らしさを失ってしまう悲劇も起こります。人間は素晴らしいのですが、人間はほんとうに罪深く、また苦しいのです。
 でも、わたしは神さまから切り離されているのではありません。神さまは、わたしが、人間として生きる経験の中に共にいてくださり、わたしを知っていてくださるし、わたしが背負わされる苦しみの中にも神さまに繋がる道があることを教えてくださるのです。わたしと共に重荷を負いながら、わたしを立ち起こしてくださりながら、神さまは共に歩んでいてくださるのです。その徴がイエス・キリスト。インマヌエルという愛の誕生の出来事なのです。                             (吉癲ヽ陝法                                                                                                                                     


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