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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「愛する人と成る」  (フィレモンへの手紙 8-16節)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-01-20 10:12:35 (93 ヒット)
週報巻頭言

わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。
(フィレモン12節)

「成人(式)」という言葉は「人」と「成」ると書きます。人が人と成るとはどういうことでしょうか。
 パウロはフィレモンへの手紙の中で、フィレモンの奴隷であったオネシモについて言葉を綴っています。オネシモは、何かしら問題を起こしてフィレモンのもとから逃げ出し、パウロのもとへと辿り着きました。そしてそこで信仰をもつようになりました。このオネシモをもう一度受け入れてほしいと、パウロは手紙を書きました。
 彼はオネシモについて「以前は…役に立たない者でした…今は…役立つ者となっています」(11節)と書いています。これを読むとパウロの訴えは、一見「役立つ者となったから受け入れてほしい」という言葉にも思えます。またその言葉からは、奴隷でありまた信仰者としてまだ若いオネシモというひとりの存在を、自分たちの所有物のように捉えているような印象も受けます(13,14節)。それは、当時の奴隷文化のにおいかもしれません。
 しかしそのような文化的な背景の中にあって、パウロがオネシモを「わたしの心である」(12節)と言っているのは驚くべきことです。ここでいう「心」とは「はらわた」、心の深い部分であり、激しい愛情や熱情を表す言葉です。パウロが、フィレモンに対する自らの立場を捨てて「愛に訴えてお願いします、年老いて…キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。…頼みがあるのです」(9, 10節)と訴えたその心がここにあります。彼をそのような愛情へと突き動かしたものは、他でもない、イエス・キリストの信仰でした。
 聖書が語る人と人との関係というのは、「役に立つ」「立たない」という関係ではありません。年齢や立場によって、何でも「命じてもよい」(8節)という関係でもありません。「愛するきょうだい」の関係…年齢を超えて、立場を超えて「わたしの心」として互いを受け入れることのできる関係です。誰かにそのように受け入れられて初めて、人は人と成ることができるのではないでしょうか。イエス・キリストが地上で一人ひとりの人と出会い、「友」と呼び、その存在を受け入れてくださったように。
 (常盤台教会青少年担当牧師 山下真実)                                                                                                                                      


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