はじめての方へ
メニュー


このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 「愛を知り、他者を知り、わかちあう」(ルカによる福音書 19章1-10節)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-01-27 11:02:19 (46 ヒット)
週報巻頭言

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。
(ルカ 19:10)

「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
 失われた者をたずねだして、ふれあって、神様との結び目をつくりたい。それがイエス様の目線、イエス様の心です。私たちが見ている人間の、表面的に満足している姿の裏に隠された、寂しさや不安が、イエス様の目にはちゃんと映っています。そんなイエス様が、今日も、一人の失われ欠けていた人に出会いました。エリコの街のザアカイという人でした。イエス様は、その日、ザアカイの足下で彼を見上げて呼びかけたのでした。
 ザアカイは、一般の人たちから見れば、失われた者どころか、裕福で社会的な地位も安泰な人でした。でも徴税人の親分でしたから嫌われていました。開き直って、居直っても、彼の心は飢え渇いていたのだと思います。心の底から寂しかったのだと思います。なるほど、お金はどんどんたまっていく。若いうちは、金勘定と反発心で「なにくそ」と頑張れた。でも、いまは、そしてほんとうは、辛いし寂しい。このままでは、いやだ・・・。
 空しさに襲われることの多くなっていたある日のこと。ザアカイは、人々の噂で、ナザレ人・イエスが自分の街エリコにやってくることを知りました。彼の胸は、なぜかしら騒いだのです。「その人のこと、ひと目だけでも、見てみたい」。そして、その日、ザアカイもイエスが歩かれる通りに行きました。
でも、通りはすでに人垣で埋まっていました。背が低いザアカイには、どうやっても人々の背中しか見えません。だからといって、人混みをかき分けて突き進むのは、とてもはばかられました。でも、不思議と、どうしてもそのまま帰る気にはなれなかった。何かが、ひっかかった。彼は、通りのいちじく桑の木に登ったのでした。その人をやっぱり見たい。木の上からでもいい。どうしても見たい、と。
        (協力牧師 吉癲ヽ陝法                                                                                                                                    


印刷用ページ 

市川八幡キリスト教会 千葉県市川市八幡2-1-10 電話047-332-5197
Theme Desinged by 工房ヒラム