はじめての方へ
メニュー


このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 「神とわたしと兄弟姉妹」(ヨハネの手紙一 2章1-11節)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-02-03 20:23:11 (98 ヒット)
週報巻頭言

兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
(ヨハネの手紙一 2:10)

 キリスト教思想家キェルケゴールの『死に至る病』をご存じの方も多いと思います。19世紀中盤に展開されたキェルケゴールの思想は、その後の哲学・神学に甚大な影響を与えました。特に『死に至る病』は、一見、とても難解ではありますが、人間の精神分析の先駆けとしても名著です。
「人間とは精神である。精神とは自己である。自己とは、ひとつの関係、それ自身に関係する関係である。」ややこしい言い方をしていますが、要は次のような意味です。
 人間は、自分ひとりでポツンと生きているわけではなくて、周りの状況との関係の中で実際の姿やかたちをとって生きています。会社との関係、友人たちとの関係、家族との関係、時代との関係、経済との関係。そういう関係の中で自分の実際の生があります。しかし、その自分の実際の生とは別に、「ほんとうはこうしたいのに。こうありたいのに。」と、実際の自分をさいなむもう一つの自己があるわけです。「本来の自分」と申しましょうか。つまり、周囲の状況と、本来の自分との板挟みのところに「現実の自己」が生きているわけです。「自己とはひとつの関係、それ自身に関係する関係」。本来的な自分が実際の自分に対して抱いている溝のようなもの、これが自己なのです。そして人間はみんなこのことに苦しんでいます。
 周囲や他人に合わせて生きていくしかないか。それとも自分に絶望するか。いっそのこと、周りに影響されないところに逃げ込んで、本来の自分を取り戻す生き方をするか。そのどれに逃げ込んでも「関係に関係しようとする関係としての自己」から解き放たれることはできません。キェルケゴールは、これを「絶望」と呼び、人間は、気がついているかどうかは別にして、みんな根本的には絶望しているのだというのです。そしてこの絶望に飲み込まれてしまう本質を「罪」と理解します。
キェルケゴールは人間の実存をそう洞察しながら、だからこそ、他者との関係や、本来の自分との関係に板挟みになっている現実の自分を、その実際の自分を、包み、愛し、支えてくださろうとする神さまと出会わなければ、人間は自己関係の苦しみから解放されないのだと言います。
        (協力牧師 吉癲ヽ陝法                                                                                                                                    


印刷用ページ 

市川八幡キリスト教会 千葉県市川市八幡2-1-10 電話047-332-5197
Theme Desinged by 工房ヒラム