はじめての方へ
メニュー


このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 「互いに愛し合いなさい」 (ヨハネによる福音書 15章1-12節)
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-04-27 13:45:00 (64 ヒット)
週報巻頭言

これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
(ヨハネ15:11-12)

ヨハネ福音書15章はよく御存じの「私は〇〇である」というたとえをもって語られている箇所です。「私は命のパンである」とか、「私は世の光である」とか、「私は道である」とか、いろいろなたとえを用いて、イエス様は、ご自身がいかなる存在であるかを語って来ましたが、ここでは「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である」と語っているところです。
 とても分かりやすいたとえで話されておりますので、当時の人々はイエス様のこの話はすぐに理解ができたのだと思います。私たちはどうでしょうか。私たちが十分に理解するには、まず当時の人々がぶどうの木をどのように理解していたかを知らなければならないと思います。
 旧約聖書には、ぶどうの木についての記述がたくさんあります。そしてそのほとんどが、イスラエル民族を表す象徴的な言葉として用いられております。たとえば、イザヤ書5:1〜7では農夫がぶどうの木を丹精込めて世話をするように、神様はイスラエルの民を愛し、そして、神の民として豊かな日々の生活をあたえようとしているのに、その神の意に反してイスラエルの民は神から離れていく。そのようなイスラエルの民を、神は見捨てる、という神の意志が述べられております。ぶどうの木とは神に逆らうがゆえに、神に見捨てられるイスラエルの民という理解がされています。イエス様はそのような理解を前提に、「私はまことのぶどうの木である」と語っているのです。イエス様ご自身が「まことのぶどうの木である」という宣言により、弟子たちはイエス様において実を結ぶ、新しいイスラエルとして神に招かれている存在であることが語られているのです。
神様とイエス様との関係が語られ、イエス様と弟子たちとの関係へと進み、その関係の類比からイエス様は、私の愛に留まることを掟として弟子たちに語り聞かせているのです。そして私たちにもイエス様は「互いに愛し合いなさい」と語りかけておられるのです。この語りかけに私たちはどのように応答してゆけばいいのでしょうか。
        (品川バプテスト教会協力牧師 松村 誠一)


印刷用ページ 

市川八幡キリスト教会 千葉県市川市八幡2-1-10 電話047-332-5197
Theme Desinged by 工房ヒラム