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このサイトは日本聖書協会発行の
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「荒れ野を通り、ガリラヤから始める」マルコ福音書 1 章 9-15 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-06-16 21:14:27 (54 ヒット)
週報巻頭言

それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは 40 日間そこ にとどまり、サタンから誘惑を受けられた。 (マルコ 1:12-13a)
祝祷で終わる礼拝。そこから、礼拝の会衆たちの一週間が始まる。生活の場、働き の場に送り出されていくわけである。私は祝祷をする。一瞬だが、派遣する側に立つ かたちになる(本当はいっしょに派遣されているのだが)。でも、それはよく考える と実に重たい事だと知らされる。なぜか。それは、会衆たちが「ここ」から出かけて いく場所が、エデン(楽園)ではなく「荒れ野」だからだ。 以前、まだ宣教師が教会で働きをしていた頃のこと。いっしょに働いていたアメリ カ人宣教師が伝えてくれた率直な言葉はこうだった。「日本のクリスチャンたちを、 私は心から尊敬します。日曜日の礼拝から帰ってくると、そこは右も左も家庭も会社 も、社会全体が、キリストの思いから考えようとはせず、聖書の価値に基づいて語ろ うとはせず、神の前でへりくだって生きることが、なんの説得力も持たない世界なの ですから。欧米の、キリスト教を土壌とする私たちには、少なくともそのプレッシャ ーはクリアされているのです。そう考えるとき、日本のクリスチャンたちの姿はほん とうに尊敬に値するのです。」そんな言葉だった。何言ってんの、欧米だってたいへ んだろうに。でも、 「日本のクリスチャンのジレンマをわかってくれてアリガトね〜」 って、ちょっぴりほっとしながら「この人、いい人!」と感じたのを思い出す。 先週の週報には“イエス・キリストの生き方は、単独者としての生き方ではなかっ た”と書いたが、今日はこう書こう。“イエス・キリストは、痛みを知らず苦しみを 遠ざけて生きたのではなかった”と。主イエスは、ヨルダン川(バプテスマ)からエ デンに導かれたのではない。都エルサレムに直進したのでもなかった。彼はバプテス マの後、荒れ野に踏み込んでいく。しかも「神の霊」に送り出されて・・・。「人はパン のみにて生きるにあらず。神の言葉によって生きるのだ」との鮮烈な宣言は、荒れ野 の空腹と誘惑を身にまといながら絞り出した言葉。そして彼は、荒れ野を通り「誹(そ し)られの地ガリラヤ」に向かい、「まなざしを据え直して生きよう。神の国があな たに接近しているから」と語り始められたのだ。だから、自分が生きる場を「荒れ野」 と例えたくなった時に忘れないでいたい。主がそこにおられることを。 吉 叶


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