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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「働く私、聴く私。共に住む家」ルカによる福音書 10 章 38-42 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-06-30 21:11:27 (49 ヒット)
週報巻頭言

マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。(ルカ福音書 10:41)
永らく口語訳聖書に親しんできた私には「無くてはならぬもの多くはない。いや、 一つだけである。」とのフレーズが刻まれている。「必要なことは何?」と問われるよ り、「無くてはならぬものは何?」と問われた方が、私のような者には、より深い自 己吟味、人生吟味に導いてくれるような気がする。本当に無くてはならぬものとは何 だろうか。どのような理由があったとしても、それを自分から取り去ってはならない ような「それ」とは何だろうか。あるいは、この世のどのような力も取り去ることは できないほどに、私の存在を支えるものとは何だろうか。そして、自分は、その「無 くてはならぬもの」で生きているだろうか。マルタは、つまりこの私が、今日、呼び かけられている。 それにしても、「無くてはならぬもの、必要なものはただ一つだけである。」との主 イエスの言葉はあまりにも単純だし、困惑する。実際、多くの「必要なもの」を抱え て生きる私たちにとって、「ただ一つだけだ」などと言われても困るのだ。だが、人 間は、時として、自分の人生と命に関する明確で単純な言葉(つまり根源的な言葉) をズバリと聞かされ、たましいの中心に受け取らなければならないのかもしれない。 「それも大切・こちらも大切」式では、いざというときに腹が据わらぬ。 マルタがマリアのことでイエスに文句を言ったとき、彼女は自分の労苦を理解して 欲しかったし、焦りや怒りの気持ちを認めて欲しかっただろう。主イエスはそれを察 知したに違いない。しかし、イエスがそこでマルタをおもんばかり「マリア、マルタ の言うことはもっともだ。おまえも手伝っておいで」と言ったならどうだろう。たし かにマルタの溜飲はさがり、仕事もまちがいなくはかどっただろう。しかし、マルタ は、明日も、明後日も、それからずっとマリアを働かせるようになるだろう。そして たちまちこの家は、 「働くマルタ」と「働かされるマリア」の家になり、聴くべき「こ とば」が響かない家になってしまうだろう。やがて、ほんとうに「慰めのない家」と なり、二人とも疲れ果て倒れてしまうのではないか。そう、マルタもマリアも私の中 にある二つの衝動である。働かねばならないマルタと、「ことば」を聴きたいマリア とは、「この私」という一つの家に同居しているきょうだいなのである。さて、この きょうだいが手を取り合って暮らせる家のように、私は生きているだろうか。 吉


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