はじめての方へ
メニュー


このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 「十字架。愚かしくも深き愛」コリントの信徒への手紙一 1:18-25
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-07-28 10:32:26 (96 ヒット)
週報巻頭言

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたし たち救われる者には神の力です。」 (汽灰螢鵐 1:18)
−随想−人間の苦しみ、悲しみには固有のいきさつがあり、固有の痛みがある。たとえ ば「花の美しさ」などがあるのではなく「美しい花」があるというのと同様に、「人間の 苦しみ」などがあるのではなく「苦しんでいるその人」がいる、それが事実なのだ。 また無差別な大量殺傷事件が引き起こされた。殺傷事件と呼ばれるものは、もちろん どの出来事も悲痛であるが、被害者が誰かを問わない無差別殺傷事件の邪悪さは、被害 者たちが「唯一無二」の存在であるという事実から、人々を切り離してしまうところに ある。池田付属小では○名、下関では○名、秋葉原では○名、相模原では○名、川崎登 戸では○名、京アニでは○名、というふうにしか伝えられないし、人々はそれのみを記 憶してしまう。そこで殺されなければならなかった彼や彼女は誰であり、彼や彼女は、 なぜ、その時、殺されてしまわねばならなかったのか、そこにどうしても届けない。そ して時間の中で「○名が死亡した悲惨な事件」だと、事件だけが記憶されるのだ。だが、 死者には名前がある。一人ひとりに固有の名前が。もちろん固有の生があった。誰かに 愛された彼であり、誰かを愛した彼女であった。唯一無二の、名と身体と命の道のりを 持つ、その人であった。 私は、神の救いの業が「壮大・偉大な栄光の業」としてではなく、飼い葉桶や、道ば たの人々との出会いや、十字架に殺された「イエス」に顕されたというこの事実に、唯 一無二の命との繋がりを欲する神の想いをみる。まさに「花の美しさ」とか「人間の苦 しみ」といった抽象的、普遍的なものごとのためにではなく、苦しむ私、痛む私、呻い ている私に、神ご自身を接続なさろうとしたのだと。「低くなられた」とは、「身分を下 げられた」という以前に、固有の人間につながったということ。それこそが神の愚かさ、 否、愚かな神の真実の愛なのだ。十字架で殺されるなどという愚かしすぎる神の子の姿、 しかし、イエス・キリストがそこで繋がろうとし、そこで握りしめていたものこそが、 愚かな私、苦悩しながら命を歩む、唯一無二の私なのだ。 この世の制度・しくみ、潮流は、益々、私たちを無名にしていこうとする。しかし、 私の名と私の罪と私の痛みを知る主は、私の傍らで宣言してくださる。「私はあなたの名 を知っている。あなたをぜんぶ知っている。私はあなたを愛し、あなたを赦す」と。叶


印刷用ページ 

市川八幡キリスト教会 千葉県市川市八幡2-1-10 電話047-332-5197
Theme Desinged by 工房ヒラム