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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「狭い門、細い道、主の祈り」マタイ福音書 7 章 13 節〜 14 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-08-04 15:23:32 (12 ヒット)
週報巻頭言

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、 そこから入る者が多い。」 (マタイ福音書 7:13)
「狭き門」と聞くと、普通は競争率の高い(合格率の低い)難関を突破することとか、 人生において過酷な道を選び取ることを連想してしまうのですが、主イエスの言葉が意 味していたのは「貧しい者、低い者、何も持てないで生きている者たちの歩み」という ことでした。福音書の中で特に重要と思われる「イエスの山上の説教」が、「心の貧しい 人々は幸い、悲しむ人々は幸い・・・」と語り始められ、続いて「大通りで長々と祈る 人々のようにではなく、隠れたところで祈る心の低さ」を伝え、また「野の花や空の鳥 の身軽さ」を示して語り進められた、その全体の文脈を考え合わせるとき、 「山上の説教」 の最終場面で主イエスがイメージしていた「狭い門から入る」事とは、やはり、貧しい 姿、低く小さな人としての姿を言い抜いていたと言えます。 と同時に、「山上の説教」は、その小さき者が天の神に知られており、神に支えられて いる命なのだということを語り抜いていて、この「狭き門」の話の背後にも、天に支え られていることを知る者だけが、たくさんの自分の荷物を降ろすことができることを言 い当てています。 神は、隠れたことをすべてご存じで、人にとってほんとうに必要なものが何かを知っ ている方です。ところが、この、神に支えられていることを知らない者、認めようとし ない者は、どうしても自分を大きく勘定したいがために、わざわざ表通りで祈ったり、 たくさんの持ち物を持って生きてしまうのです。つまり、そういう人は、大通りに続く 広い門からしか入れないし、狭い門をくぐれないのです。 「狭い門から入れ。」これは、とくだん「過酷な道を選べ」とか「厳しい道を選び取れ」 という言葉ではなく、別の言葉で言うならば、天の支え・神の愛を知り、天の神さまの 御心を求め「小さな自分の生活を守ってください」 「支えてください」 「赦してください」 と祈って生きることだと思います。そう、私たちが礼拝の中で毎週祈っている「主の祈 り」で生きていくことなのだと思います。 主イエスの私たちへのまなざしは慈しみに満ちています。「心配するな、小さき者よ。 あなたには神の祝福と愛とが注がれている。あなたに御国をくださるのは、父の御心な のだ」と祝福したい、それが彼の真実・真意なのです。 吉 叶


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