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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「軛の人」マタイによる福音書 11 章 28-30 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-09-01 23:30:40 (103 ヒット)
週報巻頭言

く び き わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは 安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いから である。 (マタイ福音書 11 章 29-30 節)
まずは、 軛 とはどのようなものかについて二種類の辞典から紹介します。 くびき ◇『新明解国語辞典』 軛(「頸木クビキ」の意)車の轅(ナガエ)の先に取り付ける横木。 牛馬の頸にあてて車を引かせる。広義では、自由な思考・行動を束縛するものの意にも 用いられる。例「圧制の軛」 ◇『聖書辞典』(新教出版社) 牛、ろばなどの首 につけて、鋤、車を引かせるために使用する木製 軛のイラスト の道具(民19.2)。頑丈な横木の下方にくぼみを作 るか、4本の堅棒を差し込み、下端を縄で止めた。 軛 を共にする二頭の牛を「軛の牛」と呼んだ。 くびき 福音書には苦しい荷車、悲しい荷車を引っ張りながら生きている人々がたくさんいて、 主イエスの前に登場しています。否、むしろ主が、重荷を負わされ失われかけている人 々のところに進んで行かれたからでしょう。その出会いを通して、目の見えない人は開 かれ、人々から遠ざけられてきた病人は交わりに復帰し、孤独で貪欲であった徴税人が 他人の為に働くようになり、38 年間寝たきりの男性は床を取りあげて歩き出します。鎖 でしばりつけられ、自分で自分を傷つけていた人物は自分を大切にできるようになり、 長年出血に苦しんできた娘の出血はおさまり、生きるために仕方なく身を売って生活し ていた女性が呪われていた人生に解放を見いだすのです。 それは主イエスが触れられたからです。「生きる」という事にずしりと伴う個々の荷車 に軛を渡し、その片方に自分の頸を突っ込むように共感されながら伴われたからです。 その時、イエスの力が一人ひとりに流れ込んだのだと思います。主イエスは「共苦」さ れる方です。主はまず「その人」と、その人が引く荷車の意味と重さと辛さを知られま す。そして「その人」を慈しまれます。「自己責任だ」と放置しない。「その重荷の責任 はいまの政治にある」と言って別の問題にもしてしまわない。その人の隣で、その人の 「軛の人」となられるのです。そうです。このわたしにもそうなのです。主イエスとわ たしとは「軛の牛」ならぬ「軛の人」の関係となったのです。 吉 叶


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