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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「多彩と混在の祝福」 ルツ記 4 章 9-22 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-09-29 18:23:35 (11 ヒット)
週報巻頭言

近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に 名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、 エッサイはダビデの父である。 (ルツ記 4 章 17 節)
最近読んだカロリン・エムケさんの『「憎しみに抗って」−不純なものへの賛歌−』か ら下記の一節を引用させていただきます。 「ファナティスト(熱狂主義者)の教条主義が依存しているものがあるとすれば、それ は一義性だ。ファナティストは『均一』の民衆、 『真の』宗教、 『根源的』伝統、 『自然な』 家族、『適切な』文化といった純粋な教義を必要とする。異議も多様性も矛盾も認めない パスワードとコードを必要とする。 −中略− 均一で純粋な国家は、まず初めに『異 質』『敵』『虚偽』と断罪されるものを排斥してからでなければ成り立たず、したがって 決して安定をもたらすものではない。本質主義的な意味で使われる『共同体』という概 念は、安全も安定ももたらしはしない。」 カロリン・エムケさんは、こう語ったあとに、「だからこそ不純で多彩なものを支持す ることが大切であり、また社会(集団)にとっては、本質主義的要素、つまり均一で「純 粋」な要素が少なくなればなるほど、他者と同じでなければならないという強制も弱ま り、むしろ安心し、安定する」という主旨のことを書いています。他者の多様性を尊重 することは、その人の個ばかりでなく、自分自身の個も守られるからだと言うのです。 さて、ダビデの系図とかイエスの系図、というと何かしら純粋性とか正当性を立証し ようとしているように考えがちですが、ルツ記の物語そのものが、そしてそれを包括し たマタイ 1 章のイエスの系図そのものが、決して純粋や正統を証明しようとしているも のではなく、むしろ歴史がたどったそれぞれの時代の中で「不純」とか「不義」「不浄」 と烙印を押された人々との交わりや繋がりを、隠すことなく記しているものであること がわかります。そのように、聖書が光を当てる「人の繋がりの歴史」から、私たちは「宣 教」のダイナミズムを学ばねばなりません。教会とて、自らを「純粋にしよう」「正しく あろう」とすればするほど、実は不安定になります。むしろ、異質なもの、不純なもの、 駄目なものを抱えた個と出会い、つながり、多元的、複数的に生きることに自らを開く とき、実は自分も安心でき、安定性と持続性のある交わりをつくりあげていくことがで きるのであって、教会の「活路」はそこにあるのではないか、と感じるのです。吉盂


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