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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「ささやかな流れに」 列王記下 5 章 1-19 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-12-29 16:45:44 (148 ヒット)
週報巻頭言

「あの預言者は『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではあり ませんか。」ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行った。 (列下 5:13-14)
2019 年最後の主の日を迎えました。本日は、旧約聖書に記録されているナアマンとい う異国の武将が神ヤーウェと出会う物語を読んで参ります。 この物語が収められている『列王記』は、イスラエルが政争に明け暮れ、偶像崇拝に 傾き、偽預言者が横行し、為政者たちも世俗の論理を優先していくプロセス、つまりは イスラエルの「神の民としての存在意義」が崩落していく過程を克明に記しています。 しかし他方で、他の国の重要な地位にある人物が、「ヤーウェの神こそが生きて働く唯一 の神であること」や「この神はただイスラエルの神なのではなく世界の神であること」 を知り、信じていく覚醒の出来事についても書き留めています。『列王記』が放つ画期的 なメッセージがそこにあります。異国・アラムの将軍ナアマンが、自分の「不治の病」 の癒やしを経験することによって主なる神に出会い、新たな「境地」を得ていくダイナ ミックな物語をいっしょにたどって参りましょう。 ところで、神ヤーウェへの信仰を持ち、癒やされたナアマンが、再び帰路につく際、 ヤーウェの預言者エリシャに願い事をします。身につまされる願いです。ナアマンは、 これからアラムにもどり、益々職務に励まねばならないわけです。そうなると、なかな か厳しい板挟み状態に立たされてしまいます。なぜならアラムはリモンの神を熱心に信 仰する国だからです。アラムの王はリモン神殿の祭司でもあり、側近の自分はその祭儀 の介添えをしなければなりません。そのジレンマを予見したナアマンは「リモン神殿で 自分がひれふすときに、主がそのことについて僕を赦してくださいますように」と、ヤ ーウェの預言者エリシャにとりなしを願うのです。これは、真なる神を知って生きる人 が、そうだとはいえ、世俗の場で板挟みに合ってしまう深刻な苦悩です。しかし、ナア マンは「それはそれ、これはこれ」と開き直ることもできないのです。ですから、ただ ただ、その矛盾を生きていかねばならない自分を主が憐れみ、主が赦してくださるよう に、とひれ伏して願うのです。そのとき、「安心していきなさい」と、エリシャから理解 の言葉、励ましの言葉が語られます。それでようやくナアマンはアラムに帰って行くこ とができたのです。神と共にアラムで生きる一人の異邦人信仰者が、そのようにして誕 生しました。クリスマスにイエスに見えた東邦の博士たちが「別の道を通って帰って行 った」というフレーズが残す響きとどこかで共鳴しているような気がします。 吉盂


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