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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「結びついて生きる力」ローマの信徒への手紙 2 章 1-11 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-01-19 17:47:14 (35 ヒット)
週報巻頭言

神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな 慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。(ローマ 2:4)
イエスは山上の説教で「義に飢え渇く人々は、幸いである」と語ります。「義に飢え渇 く者」とはどういう人のことでしょうか。一つは、「あちらを見ても不正義、こちらを見 ても不正義。あぁ、この世は不正義だらけだ。なんとかしたいものだ」と義憤に駆られ ている人の事だと考えることができます。あるいは「不正義によって虐げられている人 々を見て、『ゆるせない』と怒っている人」だと捉えることもできます。その解釈もある と思います。けれども、イエスの山上の説教の憐れみのまなざしに則して考えるなら、 「義 に飢え渇く者」とは「自分の中に自分を『立てる』正しさを見いだし得ない者」「正しさ という点では、神の前にただうなだれ悔い改めるしかない自分であることを知っている 者」のことではないでしょうか。あるいは、神が憐れみ深い方であることを知っている ゆえに、自分の義で自分を立てる欲求から解放された人のことだ、と言えるかもしれま せん。イエスは言います。「その人たちは満たされる」と。「もちろん、慰められ、地を 受け継ぎ、憐れみを受けるのだ。天の国は彼ら・彼女らのものなのだ」と。 正しさの主張は往々にして、いえ、必ずと言って良いほど人間を分断します。それに 反して、自分が罪人であることを告白する「悔い改め」は人間を結びつけます。そこに は「ギリシャ人もローマ人もなく、自由人も奴隷もなく」、「ただ罪人でしかない人間」 としての共通点と、 「等しく神の憐れみの中にある人間」としての共通点があるからです。 「悔い改めて生きる」人々こそが、この世界で結びついて生きていく人々なのです。 人間は、ずっと「自己義認」というパラダイム(枠組み)に縛り付けられてきました。 「自分を正しいとしなければ前に進めないのだ」という誤解に捕らわれて歩んできまし た。その結果として、他者への侮辱や差別、憎しみ争いによる禍根が世界と歴史に遺さ れています。イエス・キリストは、その人間の歴史に新しい枠組み、新しい結びつきの 力をくださいました。「悔い改めて神の憐れみを受ける人間」という人間性です。 私たち教会は、正しい人々の群れなのではなく、悔い改める人々の群れであり、神の 憐れみを乞い求める者たちの群れなのです。「自分の正しさ、他人の正しさ、この世の正 しさに疲れている人は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」このイ エスの招きに自らが繰りかえし集められながら、このイエスの招きに疲れている誰かを 招いていきたいと願います。


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