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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 「洞穴で泣くイエス」ヨハネによる福音書 11 章 32-44 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-02-23 20:59:23 (46 ヒット)
週報巻頭言

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。」ヨハネ 11:25
ナチスドイツの弾圧と迫害の獄中にあって、キリストへの信従を貫き処刑された神学 者 D.ボンヘッファー。彼はその著書『倫理』の中で次のように書いています。 「人は自分の死というものを知ることができない以上、生命が何であるかについて定 義することはできない。人に与えられているのは、生命を生きることだけである。しか し、イエスは『わたしは生命である』と語られる。生命についてのあらゆる思想をイエ ス自身の人格に結びつけて。したがって、『生命とは何か』という問いから、『生命とは 誰か』という問いが生まれてくるのである。」(吉睛很鵝砲函すなわち、生命は捉える ものではなく、「私が命だ」という方とのつながりなのだということです。 私たちは「幸福な人生を得るためにキリストを信じる」とか「永遠の命をいただくた めにキリストを信じる」という風になりがちです。しかし、イエス・キリストは真理や 命のための「手段」なのではなく、彼が私たちと結びついてくださること、つながって いることが「命」であり「復活」なのだと聖書のイエスは語りかけてきます。そして、 そのイエス・キリストとの結びつきに「限界」や「制限」を定めることは、私たちには できないのです。主イエスがそれを乗り越えて来てくださるからです。 愛する弟ラザロが死に、マルタとマリアは泣いています。そばに居て欲しかったイエ スが到着したのは弟が死んで 4 日目でした。「主よ、もし生きているうちでしたなら。し かし、もはやどうにもなりません。亡骸はすでに臭い始めています。」マルタからもマリ アからも同じため息が漏れます。望みは絶たれたのでした。愛の交わりは洞穴(墓)に 封じられたのでした。死別と墓、それは人間から「望みと交わり」(それは命にまつわる とても大切なこと)を断ってしまうあまりにも大きすぎる力です。 イエスはこの洞穴に立って泣くのです。はらわたがちぎれるような痛みを感じ、人間 を閉じ込め、打ちのめしてきた強い力に憤りをさえ覚えて泣かれるのです。そして、そ の洞穴に踏み入って絶叫するのです、「ラザロ、出てきなさい」。 この主イエスの共苦の涙と繋がりが「命」です。このキリストとの結びつきが「命」 です。主イエスが「洞穴」という私たちの悲しみや痛みに入りこみ、痛みに繋がって泣 いてくださる。この繋がりが「命」そのものであり、「復活」そのものなのです。 ラザロを見てイエスは人々に告げます。「死の布をほどいて行かせよ」と。私たちを包 んでいる断絶の布はイエスとの結びによってほどかれ、命は歩み出したのです。吉 叶


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