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週報巻頭言
週報巻頭言 : 新しい徴、痛みの中から テサロニケの信徒への手紙一 2章 1-4,9-10 節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-14 08:53:30 (126 ヒット)
週報巻頭言

◇新約聖書の中には、初代教会の伝道の様子を広く俯瞰的に記録したものとして『使徒言行録』がありますが、その中にはパウロの三回にわたる伝道旅行の「道程」も記されています。パウロがどのような経緯でテサロニケに行くことになったかが、その『使徒言行録』の16-17章に書かれています。それによりますと、手前に立ち寄った街・フィリピで、パウロと(相棒の)のシラスは「大きな壁」に直面し、それを超えること叶わず、フィリピを「追放」させられてしまいます。結果としてわずか数日間という短い滞在期間しかすごせなかったフィリピの街で、パウロとシラスは散々な目に遭います。幾人かの理解者たちにも出会うこともできましたが、この街で荒稼ぎをしていた「占い商シンジケート」に隷属させられ、操られ、稼がされていた一人の女性(この女性も厳しいカルト的呪縛を受けて捕らわれていた人物でしたが)を、その精神的な呪縛から解放していくという事件を起こします。この事件によって、パウロとシラスはシンジケートのボスから恨みを買い、(利権癒着状態にあった)役人に訴えられてしまうのです。「ローマの風習を否定する危険人物」という理由づけで公衆の面前で何度も鞭打たれ、その上に投獄され、足かせをはめられ、鎖でつながれてしまいます。無体な仕打ちによって身体に重い傷と痛みを負わされてしまうのです。ところが、投獄中の深夜、その地方を大地震が襲い、牢獄ごと崩壊する事件が起こります。その渦中、パウロたちは逃げ出すこともせず祈りと賛美を続けていたことで、牢屋の看守が深く感動し、感化を受け、牢屋の看守家族がクリスチャンに変えられていくという劇的な出来事も起こります。あれよあれよという間の事件です。しかし、牢獄から解放された直後、パウロが「ローマ市民権」を持っていることが発覚し、フィリピの街の有力者たちはたいへんに恐れおののき、パウロたちは「厄介者」扱いされ、「フィリピの街から出て行ってもらいたい」と体よく追い出されてしまうのです。パウロは、フィリピに来る際、それなりに思い入れを持っていました。「マケドニアでの伝道」を夢に知らされ、満を持して出発した最初の街フィリピであったにもかかわらず、不本意ながらそこにはわずか数日しか滞在できなかったのです。せっかく福音伝道の核となるかもしれない人々との出会いが起こったにもかかわらず、十分に関わることも、付き合いを深めることもできず、引き裂かれるようにしてその街を去らねばなりませんでした。せめて、芽が出るところまで関わって教会づくりをする。そんな手応えも実感も持てないまま「閉め出されてしまった」というのがフィリピでのふがいない経験です。

◇まだ生々しい傷跡と全身の痛みを抱えながらフィリピの街を追い出され、後ろ髪をひかれるような気持ちのまま街道を進みたどり着いたのが「テサロニケ」の街でした。『使徒言行録』17章を読みますと、テサロニケに着いた彼らが、前地フィリピでの苦しみをものともせずに、ユダヤ人たちが集まる会堂に安息日の度に出かけて行っては力強く宣べ伝えたかのように記しているのですが、それは『使徒言行録』の記者ルカが、後に「伝道の力強い広がり」というテーマに即して大きく概観としてまとめた記録だからであって、テサロニケに入って行ったときのパウロの実際の心境・本心のようなものは、むしろパウロ自身がテサロニケの人々に宛てて書いたこの手紙からよく伝わってきます。それがよくわかるのが今日の聖書箇所、今日の手紙の文章です。
 彼はこんな風に書いていますね。「わたしがそちらに行ったことは無駄ではありませんでした」(2:1)と。「無駄ではありませんでした」と(今になって)述懐するということは、正直に言うと、テサロニケの街に入っていくことはパウロにとって不本意なことであり、嬉しいことではなかったということなのです。フィリピに入っていった時のようにこの街での「宣べ伝え」にモティベーションは無かったし、期待もしていなかったのです。むしろフィリピでの傷を引きずりながらたどり着いた街にすぎず、これからもあんな体験を繰り返しすことになるのだろうかとくよくよしている最中だったのかもしれません。この2章1節の記述に続けて「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども」(2:2)と連ね記しているように、やはりフィリピの迫害経験、疎まれ、排斥され、巧妙に追い出されたことについては、かなりのトラウマを引きずっていたことがわかります。多少「やけくそ気味に」テサロニケに来た感があるのです。9節では、テサロニケでは、厳しい「労苦と骨折り」(2:9)をしながら神の福音を語った経験を書き留めていきます。その「労苦と骨折り」とは食住を得るための日雇い労働のことです。決して(過去に他の街でそうであったような)支援者の援助を受けることは無く、きつい労働をしながら証しの活動を続けたことも記していますから、パウロにとって、テサロニケはどう振り返ってみても、痛みや労苦と共にしか思い出せない街なのです。
◇しかし、このフィリピに続きテサロニケで、嘆きを伴いながら過ごした苦々しい経験は、彼にとって実に大切な経験となったのでした。今、新たな伝道地で働いているパウロが、「あなたがたのところに行ったことはほんとうに良かった。無駄では無かった」と感激し、嬉しさのあまり手紙を書き送っているのです。「無駄では無かった」と言うのは、まさしく自分にとって大切な意味を持っていたという意味です。
 間違いなく、パウロは自分のフィリピでの苦しみや屈辱を、テサロニケに持ち込みかけていたのです。心の中に煮え切れない気持ちが湧いていました。「フィリピで味わった雪辱を晴らしたい」「汚名を挽回し、自分の心の傷を癒したい」、そのような、こみ上げてくる人間的な気持ちとの闘いを、パウロ自身が自分の中で経験していたのですし、そうした邪念のようなものを処する、処するというかきちんと折り合っていく術(すべ)を、切実な葛藤の果てに学んだということだろうと思います。3節にあるように「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、ごまかしによるものでもありません。」と彼が書くのは、言っている美しさとは裏腹に、まさしく、こみ上げてきてしかたのない人間的な思いを、彼が自分自身の中に覗き込ませられ、苦悶していた葛藤の証拠です。そのような内面の闘争をテサロニケで経験したからこそ、伝道の「動機」と「中身」を問う意識が彼の中に焼き付いていったのです。
 「神に認められ、福音を委ねられているからこそ語るのであって、人に喜ばれようと思ってしたわけではない」(2:4)と続いて語るのも、まさに、そのことをテサロニケで「自己格闘」していたからに他なりません。自分は何を、誰のために為しているのか。「心を吟味する(見分ける)神の前で、彼に喜ばれるために」(2:4)できていると本当に言えるのか。自己の内面を覗き込みながら自問自答を続けていたのが、パウロのテサロニケでの時間だったのです。この葛藤、この自己格闘、この自問自答が、まさに「福音の宣教」に用いられたのではないのでしょうか。
 彼が、後にテモテをこの街に派遣するほどにテサロニケの人々と深く繋がることができたのは何故でしょう。それは、パウロがこの街に入って行った際に、傷心と痛みとを抱えていたからです。失意に捕らわれ、自信を失いかけていたからだと思います。しかし、その痛みと失意と迷いを受け入れ、傷心の旅人をもてなしてくれる数人の人々との交わりが起こり、そこに聖霊が癒やしと励ましを注いだからではないでしょうか。『使徒言行録』17章を読むと、現地のギリシャ人たちが二人をもてなし、またその証しの聴衆となりクリスチャンとなっています。しかし、ただちに悲劇が起こるのです。こともあろうにテサロニケに住むユダヤ人たちが、敵意をむき出しにし、金で雇った無頼者たちによって暴動を起こし、なりたてのクリスチャンたちを襲い捕縛していきました。そう、フィリピの街以上にひどい仕打ち、テサロニケの人々そのものに迫害が及んだのです。そのような中、テサロニケの仲間たちは、夜の内に、パウロとシラスを脱出させて二人はその街を後にすることとなります。
 パウロにとって、痛みに始まり、痛みながら中断したテサロニケ伝道。しかし振り返ると、その痛みの中から、伝道者としてはもちろんのこと、人間としての大切な「心もち」を学び、痛みの共通経験を通して励ましの共通経験を与えられ、痛みを痛み合うつながりの中で「新しい徴」を見ていけた。消えない希望を知らされていった。今、なお、自分が伝道を続けることができるのは、フィリピで痛み、その痛んだ身体と心であなたがた・テサロニケに出会い、そして一緒にイエスの名をわかちあったからだ。そう告白しているのです。
◇ですから、『使徒言行録』のような伝道者たちの「道程の記録」と、「手紙」のような伝道者本人の心情が滲み出た文書とを重ね合わせ、そこに起こった人間の交わりの実相を想像しながら読んでいきますと、「福音の宣教」というものは、「力強く構成され」「明確に確定され」た言葉を、「知っている者」が「知らない者」に伝授するようなものではないということがよくわかります。また、そこで語られている福音の中身というものが、「信じたら苦しみが取り払われる」とか「信じればあなたの痛みは消え去る」というものでもありません。福音は、成功を志向する言葉ではなく、失敗を退ける言葉ではないのです。福音は、苦しみを防御することを必ずしも使命とはしません。むしろ苦しみの中で、その苦しみを、わかり合えるところまで深め、痛みが共感したとこで、イエス・キリストを見上げ、十字架のイエスからくる慰めをわかちあい、復活のイエスを信じて勇気を与えられていく、福音とは、その「交わりへの招き」のことである、ということです。
 パウロがそうであったように、伝道者は痛んでいるかもしれません。しかし、いつもその伝道者をもてなす人々が共にいて、(共にいることができるのは、それらの人々もそれなりに痛みを生きているからであり)お互いが痛みから出会い、痛みに出会い、痛みに薬を塗ろうと心を傾け、かさぶたが付くのを一緒に見守りながら、人間の交わりを探し求めようとしていくときに、その一人の痛みが、交わりにとっての新しい徴となり、希望の徴と変えられていくのです。傷や痛みが、新しいビジョンが生ずる場となり機会となっていく。十字架のイエスと、聖霊が、わたしたちを、今もその出来事へと招いてくださっています。                            了


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