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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 若者が見たもの 〜神学校週間をおぼえて〜 テサロニケの信徒への手紙一 3章
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-28 08:58:54 (124 ヒット)
週報巻頭言

◇先日の木曜日の昼前に、嬉しい小包が届きました。開けてみると二冊のアルバムが入っていました。ハンセン病国立療養所・大島青松園(香川県)に生きる写真家、脇林清さんの写真集でした。差別・排斥と隔離収容の島としての大島の歴史のアルバムと、瀬戸内海に浮かぶ自然がそのまま残された美しい島としてのネイチャーフォト集。深い感慨につつまれ、いくつもの思い出がよみがえってきました。
 時代は残酷でした。ハンセン病に感染することで、人間としてのありとあらゆる尊厳を剥奪され、生きてきた意味・生きている意味を否定された人々。「社会」への接触を禁じられ、他人とのディスタンスを強要され、触れあうことを「自粛」させられてきた人々。周囲を海に閉ざされた世界で聖書を読み、礼拝を捧げ、「ここも神の、み国なれば」と賛美を歌い続けた人々。それが大島青松園で私がみた人間の過酷な現実でした。社会の残酷な姿でした。
 少年だった私は、いままで見たことの無い「厳しい生」に心が震えました。と同時に、それ以上に、なぜ、そのような人々が「神を信じ、イエス・キリストを慕うことができるのか」という謎に心を揺さぶられたのでした。大島のクリスチャンたちへの驚きと尊敬の念は、少年だった私を回心させてしまいました。当時、音大に行きたいと思い、音楽高校で学んでいた私でしたが、その進路を変更し、神学校受験へと向きを変えました。私が転身するほどの何かを掴んだのではなく、大島の人々が出会っていたイエス・キリストに、私が捕らえられてしまったのかもしれないと思います。
 私は、それからというもの、月に一度の高松常磐町教会からの礼拝訪問団に毎回加わり、渡船に乗って大島の礼拝、大島霊交会の礼拝に繰り返し出かけていった。しかし、もしかしたら、私にとって神学校への道のりは、大島の人々から送り出されたもののではなかっただろうか、と思ったりもしています。
 1984年。兵庫県伊丹市の教会の牧師になり向かえた就任式。大島の教会員たちからお祝いのカードが届きました。それには、こう書かれていたのです。
「叶君。牧師就任を祝います。
 悩むこと迷うこと、それがあなたが生きているということだ。
 しかし、キリストを疑ってはならない。
 キリストを心の中から葬り去ることは、あなたが死ぬということだから。
 キリストにあって生きる。その意味ある人生を、人々に宣べ伝えるために、
 あなたは、試練を乗り越えていって欲しい。
 キリストにのみ、生きることを喜んでいる大島霊交会一同の
 あなたへの祈りです。」

 キリストに生きてみようとして歩み出したばかりの青年に届けられた、「キリストにのみ生きることを喜ぶことができている人々から」の厳しい人生と信仰の実存とをかけた激励の手紙でした。

◇本日より一週間は日本バプテスト連盟の神学校週間です。神学生たちは必ずしも「若者」とは限らないのですが、きっと気持ちは「若者のように」学んでいることだと思います。若者は遣わされて学びます。若者は迎えられて育つのです。また見て、揺さぶられ、その体験を考え抜きながら「経験」として普遍化(言葉化)するプロセスを自分でたどっていきます。それが成長するということでしょう。若者が見るものは何か。若き伝道者が見るものは何か。それは、イエス・キリストが、厳しさに喘ぐ人々の中で生きて働き、しかし、そこに(キリストが)希望を湧き出させているという事実を見て、希望を語ろうとする宣教者とさせられていくのだと思います。

◇本日は、テサロニケの信徒への手紙一の3章をテキストとしました。もちろんパウロの言葉です。けれども、本日はパウロの言葉に表された彼の思想の方にではなく、この箇所に書き留められているテモテの方に、つまりパウロからテサロニケの群れに派遣されたテモテにフォーカスをあて、想像力を膨らませながら読んでまいります。
 テモテはパウロが大変信頼していた若者です。第二回の伝道旅行の際に、リストラという町で出会いました。父はギリシャ人、母はユダヤ人(ロイス)で、母の影響で幼い頃から旧約聖書を学んで育った若者でした。テモテはパウロと出会うことによって旧約聖書に記されている神の救いの御心が、まさにナザレのイエスという人によって現され、十字架に架けられ復活されたそのイエスこそが「キリスト」であるというパウロのメッセージを、柔軟な感受性で受信し、自分の明確な確信として立ち上がった若者だったと思われます。パウロもまたこのテモテの姿に感銘を受け、その後の伝道旅行に同行させていきます。おそらくは、まだ20代の若者でありました。とはいえ、テモテにしてみれば、パウロに同行したとたんにフィリピでのさんざんな迫害を受け、逃げのびてたどり着いたテサロニケでも、伝道活動にあからさまな妨害が加えられ、身に迫る危険の中、深夜にテサロニケを脱出するという危機一髪の経験もしています。伝道活動とは決して誰にも歓迎される旅行ではないのだ、という厳しい洗礼をいきなり受けながら歩み始めたのがこのテモテです。
 そのようなテモテは、パウロとの道中を共にしながら、師匠パウロのこともよく見つめていたのだと思います。ヒィリピでの投獄の出来事を回想したり、不十分なかたちで切断させられてしまったヒィリピやテサロニケでの伝道を思い巡らせる毎日。しかも、テサロニケでは、未だにユダヤ人たちの執拗な妨害や嫌がらせが続いているようだとの知らせも入ってきます。とても気に病んで、「どうしているだろうか」「キリストは彼らの中に生きているだろうか」と心配し、念じるように祈って過ごしているパウロの姿をテモテはずっと見つめてきました。アテネの町に着いたのち、とうとうパウロ先生が、「テサロニケに行ってみたい」としきりに言い始めた。でも今は、この町で手が離せない。苦悩するパウロと話し合う中で、テモテはパウロの想いを受けてテサロニケに行くことを決断したのだと思います。
「わかりました。パウロ先生、ぼくが行ってきますよ、見てきますよ」。そのように出立してはみたものの、心細かったと思います。恐い思いをしたテサロニケでの騒動を忘れてはいません。命からがらテサロニケを脱出してペレアに到着した時でさえ、そのペレアにまでテサロニケのユダヤ人たちが追いかけて来たのでした。そんな執拗な迫害者たちが睨みをきかしているテサロニケに、彼は遣わされていくのです。「いったいこの自分が、パウロ先生に代わって、テサロニケの人々を励ますことなどできるのだろうか。」心許ない想いとの闘いだったと思います。
 他方、テサロニケのクリスチャンたちにとって、テモテを迎えることはどういうことだったでしょうか。パウロの教えを受けてイエスを信じる者となった結果、仲間は投獄され、自分たちの財産は没収、良くても管理下に置かれる。迫害者たちの嫌がらせはあらゆる生活場面に及んでいる。しかも、イエスの名とその道とを教えてくれたパウロ先生は、もうここにはいない。そのような中を、キリストの力にすがって懸命に「隠れキリシタン」とも言える生活と群れの営みをしている。それがテサロニケの群れの実情でした。「順調に伸びている我々の教会に若い神学生を招いて、奉仕をしてもらい、教会のいろはを学んでもらいましょう」などという高飛車なシチュエーションではありません。「たまには若い人のフレッシュな話を聴くのもいいですね。お招きしましょう。」そんな悠長なイベントではないのです。妨害に翻弄されそうになりながら、必死で生き抜いている、そんな自分たちの全生活を振り絞るようにして、この若い「伝道者の卵」を迎えたのです。そして懸命に繋ぎ続ける交わりの中に抱き込んだのです。
 テモテは、そのような信仰生活の現場の中で問い続けたと思うのです。「なぜ、あなたたちは信仰を捨てないのですか。」「なぜ、信じられているんですか。こんな状況の中で、なぜ、何が、あなたたちを支えているのですか。」一緒に隠れながら、一緒に集まりながら、一緒に潜み、賛美し、祈り、主の晩餐を酌み交わしながら、テモテは、遣わされたテサロニケで、そのキリストに捕らえられた者たちの「厳しい姿」を見たのだと思います。しかし、その厳しさを浴びている人々の緊張あふれる表情が、キリストの名を呼び合うときに、得も知れぬ穏やかさと平安に包まれていく、そんな人間の生命の不思議を見たのだと思います。そして、厳しい人生を生きている人々が、その厳しさの中から放つ優しさと忍耐の力をテモテは見たのだと思います。大島の人々の言葉ではありませんが「キリストにのみ、生きることを喜んでいる」テサロニケのクリスチャンたちの、信仰の迫力を見たのだと思います。テモテは、派遣され、迎えられ、そこで見たもの、感じたもので、育てられたのです。テモテは、まもなくパウロのもとに帰ります。テサロニケの人々の信仰と愛が息づいていることを報告し、パウロを喜ばせます。パウロ自身が7節に記しているように「わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました」(とあるように)励まされているのです。出会いも別れも、艱難も危難も、主の手の中にある、そのことを心底感じ取りながら、パウロは自分が握りしめようとしていた「伝道の成り行き」についても主に委ねることを会得していったのです。と同時に、テモテを派遣して良かった。テモテを育ててくれたのはまさに出会いであった。あの人たちの姿であった。あの人たちを支えていたキリストが、テモテを支え、テモテを育ててくださるのだ、パウロはそのことも確信したのではないでしょうか。
 若者が見たもの。それは、何だったのでしょうか。若者は、何を見たとき、何を見せられるとき、育てられるのでしょうか。今は、新コロナの霧の中で歩む教会ですが、置かれた場面がどうであれ、そこでわたしたちが生きる生き方を、若者たちは見ている。そのことは大切に心にとめていきたいと思うのです。


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