
When you're weary
Feeling small
When tears are in your eyes
I'll dry them all
I'm on your side
Oh,When times get rough
And friend just can't be found
Like a Bridge Over Troubled Water
I will lay me dawn
生きることに疲れ果て
みじめな気持ちになって
涙を流してしまうとき
その涙をが乾かしてあげよう
いつもあなたの側にいる
どんなに辛いときでも
友だちが見つからないときでも
荒れた海に架けられた橋のように
この身を横たえよう
ご存知の方も多いでしょう。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」です。この曲の原曲の題名は、歌詞の中にもあるように「Bridge Over Troubled Water」ですから「荒れた海に架かかる橋」です。これを日本では「明日に架ける橋」として広めたものです。しかし、この日本語の題名も実に味わい深いものであると思えるのです。
私たちは、今、コロナパンデミックという深い闇に包まれて歩んでいます。ある人々にとっては「まるで嵐の海を漕いでいるようだ」と感じられている方もおられることでしょう。
感染の不安、閉じこもらねばならない不自由、出たくないのに出なければならないジレンマ、どうしても自分の中に芽生えてしまう猜疑心の悲しさ、同調圧力の息苦しさ。もう自由でなくていいから強い力に守られたいという誘惑。触れあうことの喜びから遠ざけられ、交わり合うことを遮られ、私たちは「人間らしい姿」の何かを衰弱させられているのは事実です。私たちが船出した2020年という海はほんとうに荒れており、人間もまた疲れが溜まり荒れているのかもしれません。
それ故に、私たちはいつもの年よりも一層強い思いで、「明日」ということを思いめぐらし、この闇が、この霧が晴れること、嵐が静まることを念じているのではないでしょうか。穏やかな明日の訪れを求めているのではないでしょうか。自分たちの人生の明日、愛する子どもたちの明日、この社会の明日、人類の歴史の明日、こうした「明日」が良きものであって欲しいと誰しもが望んでいるのです。まさしく、明日に架ける橋を見たいのです。
ところで、明日は、明後日からくるのではなく、今日と繋がっていきます。こんなにしんどい今日と繋がっています。明日を迎えていくために、私たち人間は、歯を噛み締めながら今日の労苦を背負い、今日を生き抜いていきます。明日目を覚ましたら何もかもが激変し、すっかりバラ色に変わっているということはないのです。また、あと8日寝ると正月ですが、年が明ければ、コロナウィルスの去った穏やかで美しい明日が約束されているわけではないのです。
みなさん、「明日に架ける橋」それは確かに「荒れた海に架ける橋」なのです。荒れた海、それは、私たちが生きるということの現実であり、沈んでしまいそうなほど危なかしい実相だと思います。そこを踏みしめていく橋が欲しいのです。飛び越えていくわけにはいきませんが、明日に向けて、今日をしっかりと踏みしめていく道が欲しい。その橋はどこにあるのでしょうか。その道はどこにあるのでしょうか。それは補償金や給付金のことでしょうか。それはワクチンの事でしょうか。
クリスマスは、神が私たちにこうささやきかけてくださっている出来事です。
「荒れた海に架かる橋のように、私はあなたの前にこの身を横たえよう。私があなたの荒れた海、生きるという困難さの中にあって、この身を横たえ橋になる、道になる。」と。
クリスマスの舞台となった場所は家畜小屋として使われていた洞窟あり、救い主が寝かされたのは飼い葉桶でした。それは、誰にも顧みられないで、はじき出され、押し込まれてしまった暗闇の穴、あまりにもみじめでお粗末な場所を、神さまは見つめてくださったのだ、ということを意味しています。それはこの時代、この社会の中で、顧みられず痛手を受けた人々を照らしていますし、同時に私のの弱さや私の中の醜い何かをも照らしています。でも、そこを受け入れ、それを癒やし、それを支えるような仕方で、あなたを支えたい、あなたを生かしたい。神の御心は家畜小屋に救い主を宿らせたのです。
この救い主のお名前はイエス。そして別名「インマヌエル」といいます。「神が共におられる」という意味です。どんなに苦しいときにも、どんなに荒れ果てている時にも、私はあなたと共にいる。荒れた海に架ける橋のように、私はあなたの前にこの身を横たえよう。投げ出され溺れてしまいそうな嵐の海をあなたが行くのなら、私は共にいて、あなたの明日への橋になろう。救い主が飼い葉桶に寝かされた意味は、それを意味しているのだと思います。
荒れた海、嵐の海といえば、13歳のアンネ・フランクが遭遇した時代は、ナチズムによるユダヤ人虐殺の嵐が吹き荒れた暗黒の時代でした。アムステルダムの隠れ家で2年以上も身を隠しながら綴られた『アンネの日記』に記されていた言葉、「Soi gentil et tines corage 優しくあれ、そして勇気をもて」この言葉を今年のクリスマスのテーマといたしました。
ラジオを通して隠れ部屋にも届くユダヤ人狩りの情報、自分のすぐそばまで迫り寄っている恐ろしい暗闇の感覚、どんどん痩せ細っていく命の灯火、霞んでいく明日への希望、閉じ込められた閉塞感、思考停止しを起こしそうな、気がおかしくなってしまいそうな極限状況の中で、アンネ・フランクが彼女自身に向かって刻んだ言葉「優しくあれ、そして勇気をもて」。「勇気を出せ」ではなく「勇気をもて」。命令形で書かれてはいますが、この言葉は、アンネの「願い」であり、アンネの「決心」であり、生きることに「誠実」であろうとするアンネの努力でありました。この苦しみの中で何を選び取るかのという態度が、アンネという人間の人間性を守ったのです。その言葉、その思いが彼女を守ったのです。そして、彼女の言葉が、その後70年以上にも亘って、世界中の若者たちに、理想を抱くことを諦めない人間の生き方を伝えたのです。
明日にかける橋、それは言葉のことです。言葉とは思いのことです。神が私たちを愛している。神はそれゆえ私たちと共にいる。この神の思い、神の願い、神の言葉が肉体となった。この神の想いがイエス・キリストとなった。それがクリスマスという出来事です。
明日にかける橋。神は、生きにくさを抱えて今日を生きている私に、今日、共にいてくださるのです。ですから明日も生きたいと思います。
◦ みなさんの明日、みなさんの新年が、キリストの愛に支えられ、晴れない霧の中にあっても誠実な道となられますようにお祈り申し上げます。
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