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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
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Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
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週報巻頭言
週報巻頭言 : 心の星、心の旅 マタイによる福音書2章9-13節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-12-27 16:06:24 (30 ヒット)
週報巻頭言

 みなさま。2020年最後の礼拝をこうして捧げています。今年は、みなさまお一人びとり、それぞれの生活の中で悩ましい日々を過ごされたことでしょう。これまでに経験したことのない負荷を背負ったり、これまで悩んだことの無い類いの悩みを体験されたことでしょう。ほんとうにお疲れさまでした。慰めと癒やしを与えられる年末を過ごされますように。また、靄のかかったような中にあっても、希望の光を灯されていく新年をお迎えなさいますようお祈りいたします。

 さて、私の一人の友人は、自分で「東方の学者たちが見た星」を決めていました。もちろん学術的な根拠は何も無いのですが、冬の空の象徴・オリオン座の左上の星と真ん中の星とを結んで、その線を何倍かに延ばしたところにある「あの星」という具合に決めて、毎年アドベントになると空を見上げ、クリスマスに向けての励みにしていました。子どもじみているようですが、星を探して喜んでいるそんな彼の様子がほほえましく、とても好きでした。
 2000年前に東方の学者たちが見た星が何だったのか、どの星のことなのか。それを天文学、天体物理学の立場から説明しようとする人々がいるにはいます。興味がわかないわけではありませんが、むしろ、星に導かれて旅をした学者たちにこそ、私たちは生き方を学び、人生を黙想したいものだと思います。
 救い主の誕生を告げる星は、あの夜、ずべての人々の頭上に輝いていたのです。にもかかわらず、その星の存在に気づいた者は少なく、また、星に導かれるようにして出かけた人間は他にはいなかったのです。その輝きを心に留め、その輝きを「導き」として受けとめた学者たちの心にこそ、それだけではなく導きに従って出立した人々の姿にこそ、私たちは注目しなければならないのです。
 空には数え切れない星の輝きがあります。私たちの「生活という天空」にもたくさんの星があると思います。通常ならば、私たちの日常生活に沸き起こるトピックス、たくさんの雑事、飛び交うニュースや情報がそれにあたるかもしれません。今年はコロナパンデミックによる不安と不況、これまでの常識がひっくりかえるような経験をし、私たちの生活という天空に悩ましい靄(もや)がかかったりもしています。靄がかかっていながら、さまざまな心配事がちらついている。どんよりとしながら騒がしい。不明確ながら忙しい。今日の私たちはそのような天空にすっぽりと覆われていると言えましょう。
 しかしそうした悩ましい天空にその星は輝きます。「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。これこそが、神があなたを愛する徴(しるし)なのだ」というメッセージを放ちながら。私たちは、私たちの心の天空に、その徴を見いだすことができるでしょうか。こうした中にあっても、私たちを希望への旅立ちへと導こうとする星の導きの光をとらえることができるでしょうか。その星は天体望遠鏡では見つけることはできません。落ち着いて、静まって、人生を黙想し、自分の生き方を祈り求めようとするときに、心の内に見いだすことができるです。
 ネガティブ・ケーパビリティ。不確実な中にあって、不確定な時代の中にあって、それらを受容しながら、落ち着いて大切なものを考えていく、そうした受容力と忍耐力の中に、私たちは星の輝きを発見することができ、そのような中から、たとい活動的な出発を阻まれていても、来たるべき人生に向けての心の旅を開始することができるのだと思います。

 私たちが悲しみをもって受けとめていきたいことがあります。それは、この悩ましい時代の中で生きることが辛くなっている人たちのことです。日本の自殺者数は依然として年間二万人を超えていてまだまだ深刻な状況にあります。未遂者は、自死者の20倍と言われてもいます。中でも若者層の自死数についてみると10歳〜39歳の死因の第一は自死となっており、これはG7の中でも日本だけの特徴です。また20代、30代の女性の自死の割合がかなり高くなっています。そして突発的な自死の割合が高いのだそうです。
 空しさと疲れ、寂しさと空しさのブラックホールのようなものに、ふと吸い込まれていくのかもしれません。
 天空の話をしましたが、人間の心の天空に、深い闇のホールが開いていて、そこに吸い込まれていく、そんなことが人間にはあるのです。ブラックホールということで、一つのエピソードをご紹介します。

 いつかお話したと思いますが、私の両親は5人の子ども達の里親をしていました。その中に、9歳で我が家に引き取られてきた登美子という少女がいます。彼女には3歳の時まで一緒に過ごした実の母親の面影が残されています。登美子には、突然、自分を置き去りにして蒸発した母親に対する「なぜ」という悲しい疑問と、それでもその母親に会いたいというぬぐいきれない欲求とが心の奥にいつもへばりついていました。その「なぜ」という感情が顔を出したとき、登美子はいつも突然に完全な無気力状態、虚脱状態に襲われて、もはや全てが上の空になる症状を見せました。いつもは明るい、人なつっこい登美子が、この「なぜ」というブラックホールに突如として吸い込まれてしまうのでした。
 登美子は、高校に進学することをしないで、私の両親の手から離れ、自ら望んで香川県の東部、白鳥町にある白鳥動物サーカス団に入りました。全国で初の少女のトラの調教師になるためです。猛獣の檻の中にコスチュームをつけ鞭を手にして入ります。2〜3頭のトラを相手に鞭をふるい、輪くぐりや平均台わたりに挑戦させるのです。登美子は、トラの気持ちをうまく掴まえる点においては天才だともてはやされました。新聞に載りテレビにも出ました。日本テレビの1時間のドキュメント番組(森本レオさんのナレーション)「登美子16歳・おかあさんにあいたい」も放映されました。そう彼女が動物サーカスに就職したのはそれが狙いでした。有名になれば、お母さんが自分に会いに来てくれるのではないかと思っていたのです。
 1989年の正月に悲劇が襲いました。たくさんの見物客が見守るショーの最中に、彼女の心を突然あの「なぜ」が襲いました。トラの檻の中で彼女は突然脱力し無気力になりました。演技を止めてしまい、鞭をだらりとさげたまま檻の金網によりかかり、放心状態になりました。その瞬間に、一頭のトラにくびから胸を噛まれました。たくさんの子ども達が見ている前での惨劇でした。
 当時、兵庫県の伊丹市で牧師をしていた私がまっさきに駆けつけました。面会謝絶の部屋でした。トラの牙で肺に5つの穴があいていました。登美子は私の顔を見て、一滴涙をこぼして「おにいちゃん」と言いました。「きてくれた」といってまた涙をこぼしました。転勤先の長崎から遅れて駆けつけた私の母に「おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん」と4回繰り返しました。
 後日談は別の機会に譲るとしますが、登美子はなんとか一命を取り留め回復し、横浜で暮らしています。結婚し、子どもを育てながら、それでも、まだあの「なぜ」と向かい合って生きて居るのだろうと思います。横浜は3歳まで登美子が母親と暮らした土地なのです。
 登美子の「なぜ」は、自分をひとりぼっちにした母親への問いでした。深い深いアイデンティティークライシスです。自分は愛されているのか、自分が生まれてきたのはほんとうに良いことだったのか、という存在を揺さぶる迷いであり、愛され喜ばれている命だという確信への渇望でした。天才トラ使い少女、サーカス団の若きスター、心にいくつものきらめく星がありましたが、そのすべてを吸い込むブラックホールもありました。それが現れたときには全てが輝きを失うのです。
 でも、これは登美子に特別の問題ではなく、また特別な生い立ちが無くとも、人はみな、このような全てを空しくさせてしまう「なぜ」「何のため」という底なしの穴を心の中に抱えることがあるのだということを知っていたいと思います。
 何のために働いているのか。何のために生きて居るのか。何のための命なのか。私は生きていて意味があるのか。そういう「なぜ」に遭遇することがあります。それもこれも私が悪いのだ、どうせ私が悪いのだ。そうとしか考えられなくなる時があります。
 しかし、まぎれもなく、そのような時、そのような場所にこそ、生まれたもうた方がいらっしゃいます。その方は、あなたのために生まれたのだと、一生懸命に信号を送る星があるのです。
「今日、あなたの苦しみの部屋、悲しみの場所に救い主がお生まれになる。その人に向かって、心の旅をしなさい。あなたの空しさの中に希望を与え、あなたを愛し、あなたを支える神の力が宿るのだ。どうか、あなたはその暗闇の中から旅立ち、心の旅をして、あなたの心の中にあるベツレヘムの小屋で、喜びと平安とに出会いなさい」と。この神の知らせを見つけて欲しいのです。この神の知らせを聞いて欲しいのです。心の星を見いだして欲しいのです。

 新約聖書の時代の言い方では、東方という方角が意味していたものは、無秩序とか混沌という意味合いでした。マタイ福音書は、その混沌とした世界の中に、星に気づいたわずかな人がいて、その混沌の暗闇の中から旅をしてきた人がいて、この救い主を見いだして喜び、手にしていたこの世の宝を救い主の前に捧げて帰って行った、喜びながらまたその暗闇の世界に帰って行ったと記しています。東方とは、あくまでも私たちが生きる、「なぜ」「なんのために」を生じさせてしまうかもしれない世界のことです。
 私たちは、どうしたって混沌の世界を歩んでいくしかありませんが、心の星に導かれ、いつも心の旅をしていたいと思います。GoToトラベルなんかあってもなくても、いつも心の旅をしたいと思います。
 聖書は、ある意味、旅をした人々、旅をする人々の記録であるとも言えます。聖書には、自分の人生の意味はもうこれなんだ、とか、自分の生きる範囲はここまでなんだ、とか、自分の生きる目的はこれしかないのだ、と決めてしまわないで、神さまが常に導いてくださる目的や、神さまが出会わせてくださる喜びに向かって旅を続けた人々の話が記録されています。
 逆に、聖書は、イスラエル民族が旅を止めてしまい、与えられた土地に安住し、神さまの声に感動しなくなり、心の旅さえしなくなってしまったことによって滅んでしまったことを記録してもいます。
 定住・安住は私たちを貪欲にし、感覚と感受性を鈍らせます。でも旅は、人の心を新鮮にし、透明にし、柔軟にします。出会いに感動する動きを持たせます。もちろん、わたしたちは実際には、ひとところに定住していますが、私たちの心までもが旅することを忘れ、新しい出会いに感動できなくなってはならないと思います。動くな、出歩くな、と言われているコロナの中でも、私たちは心の旅をすることができるのです。新しい生き方へと今日だって招かれているのです。
 心の旅。イエス・キリストを与えられる嬉しさ、今日もまた新たにイエスさまのいる風景に遭遇する驚き。心の旅をしましょう。こうした心の旅を楽しめる人々にこそ、新しい風景が開けていくのではないでしょうか。この靄っている時代の中でも。
 皆さま、よい新年をお迎えください。
                               了


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