
更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々と
その繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これを
みんな与えよう」と言った。(マタイ4:8-9)
この物語の場面の登場人物は、(神の)霊、イエス、悪魔(誘惑する者)です。低い場
所にある川でバプテスマを受けたイエスを、神の霊が導きあげて、ユダの高地である荒
れ野へ連れてきます。マタイによる福音書は、この場面の最初から「神の霊がイエスを
導いている」と描いています。またここでの経験が、イエスがバプテスマのヨハネのと
ころから離れて、独自の活動を行うことになったきっかけであることも示唆しています。
悪魔はヘブライ語で「サタン」で「告発者・敵対者」という意味です。ここで悪魔は、
イエスが「義なる人」であるかどうかを試すのです。
悪魔がイエスを3 つのことによって試します。「石をパンに変えてみなさい」「ここか
ら飛び降りてみなさい」「わたしを拝むなら全世界を支配する権威をあなたに与えましょ
う」。この「3 つの試し」です。
この物語を伝えた人たち(口伝えで伝えた語り部、福音書に編集したマタイたち)や
最初に読んだ人たちは、ローマ皇帝カリグラの支配にあえいでいました。カリグラの治
世は短かった(後37-41 年)ですが、その中で、自分を神とすること、つまり自己神格
化を強化するために「ひれ伏して拝む」ことを導入しました。これはそれまでは導入さ
れてこなかった儀礼でした。このことは自由であることを重んじるローマの人々にとっ
ても屈辱的なことでしたが、ユダヤの人々にとってはさらにできないことでした。「ひれ
伏して拝む」ことをするのは神に対してのみ。人間である皇帝をこのような形で拝むこ
とは「神ならぬものを神とする」偶像礼拝であるのでどうしてもしたくない、してはな
らないことでした。つまり、この物語を伝えた人たちもまた、「3 つの試し」にさらされ
ていたのです。イエスがそうであったように。
そして、この「3 つの試し」は、わたしたちの周りにいつも、絶えず、たくさん、形
を変えて存在しています。みなさんは、この「3 つの試し」について、どうお考えにな
るでしょうか。どのようにお応えになるでしょうか。また、わたしたちは今、「荒れ野」
にいるように感じられます。その「荒れ野」で、わたしたちはどのように誰と生きてい
きましょうか。そしてそれはいったい何のためでしょうか。そのことを共に問われ、見
つめながら、2021 年を歩んでいければと願います。【臼井一美】
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