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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
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Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
週報巻頭言
週報巻頭言 : 一点一画も落ちてはならない命 マタイ福音書5章17-20節
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2021-01-17 13:27:56 (50 ヒット)
週報巻頭言

 本日は、新成人の方々の成長をご一緒に喜び、主に感謝し、一人一人が人生を歩むことに祝福を送る、そのような時を過ごしています。
 聖書は、人間が自分自身の一生を歩む上で大切にしなければならないこと、忘れて欲しくないことについて、体当たりで記してくれている書物です。こんなに分厚い書物ですが、聖書が私たちの人生に向けて語りかけていることの柱はそんなにたくさんのことではないと思います。
 それは、あなたという命、あなたという存在は望まれて生きているのだ、あなたという命は望まれてつくられた。願われて命となったのだということです。あなたは神さまの御心の命なのだということです。神さまの創造があなたの人生の出発点です。
 二番目のことは、そんなあなたなのだから、あなたの命、あなたの人生をだいなしにしてしまう悪い力から解き放たれて生きて欲しいということ。あなたを捕らえて不自由にしたり、あなたの尊厳を傷つけてしまうような力から解放されるように、神さまは道を教えてくださろうとしています。聖書には、神の義という言葉がたくさん出てきますけれど、義というと良いこと・良い人、という風になるんですが、神の義とは「人間をだいなしにしていまう縛りの力から解き放たれようとする歩み方」のことなんです。それは古い時代には律法というかたちで示されたり、預言者の言葉によって示されり、イエスさまの言葉によって教えられたりしています。その全てが、あなたという存在が何か悪い力に縛られたり捕らえられたりして、失われてしまわないようにという神さまの思いから来ています。
 そして、もう一つのことは、あなたは愛されて生きるのだ。あなたは赦されて生きるのだ。人は誰もが愛されなければ生きていけないし、人はどうしても赦されなければ生きていけないのだ。この愛と赦しという祝福を知らないと、人は生きていくことが苦しくなるし、安らかに死んでいくこともまたできないのだということです。あなたを愛し、あなたの人生がどこでどうなって、どうであったとしても、あなたを赦し受けとめてくださる神の愛は、イエス・キリストという方によってはっきりと示されていますよ、と。
 聖書の核心といっても良いことは、この三つのことです。そして、人生の大切な節目、成人式を迎える、その時にご一緒に憶えたいことは、他の何ものでも無く、この三つのことです。
 今から、人生を展望し、自分らしい生き方を選び取って行かれると思います。でも、イエスさまがおっしゃっています。「もし人が全世界を儲けても、自分の命を失ったら何になるか」と。あなたが、どんなに立派に生きていても、どんなに財産を蓄えることができたとしても、創られた存在であるということ、愛されている自分であること、そして赦されていく人生である、このことを忘れたならば、苦しみに呑み込まれてしまいますよ、自分の命を失ってしまいますからね、ということです。
 
 律法(旧約聖書の戒め)には、たくさんの言葉が確かにあります。ヘブル文字は、画ばった文字です。たくさんの点があり画があります。それを一点一画誤り無く記録し、写し取っていきます。律法を学ぶ学生・学者は、この一点一画を見落とさないよう、書き落とさないように必死に写本し、必死に暗記し、がんばって勉強します。自分が勉強している学びに不足はないか。自分にはどこか落ち度がないか。そのように必死になります。すると他人の落ち度が目につき、気になります。そのうち、相手の間違いを指さして、重箱の隅をつつくようにして、無益な非難に明け暮れるようになります。命がだいなしにならないために、解放のために歩む道として神さまが与えてくださった律法に、逆に縛られて、相手を縛って、存在をだいなしにし合ってしまいます。それが、イエスさまが生きていた時代の律法主義の苦しみでした。律法主義が与えていた苦しみは、学ぶ人たちにとっても、学ぶことができない人たちにとっても、実はとても辛い苦しみになっていたのです。

 ところで、今日の箇所を読むと、イエスさまご自身が、神さまが与えられた律法という戒めをとても大切にしていることがわかります。きっと、その頃、イエスさまがなさることがあまりにも斬新すぎて、それまでの常識から離れすぎているので、律法学者たちやユダヤ教の先生たちから「あいつは、律法やぶりだ」「ナザレのイエスの語る言葉は、まるで律法など無効だといっているような不届き者だ」と、いつも悪口をぶつけられていたのです。その噂・そんな悪い評判がどんどん伝わって行ってましたし、どこの町でも、そんなイエスさまを懲らしめてやろうとする人たちが待ち構えていました。
 他方では、日ごろから、貧しくて、忙しくて、生きるためのいろんな事情があって、律法どおりの生活ができなくて罪人とばかにされ、侮辱されていたたくさんの人たちは、イエスさまの評判を聞いて、律法なんかよりももっとすごい徴を見せてくれる人がいるらしい、自分たちを縛り付ける律法を壊してくれるんじゃないだろうか、そんな期待をもってどこの町にいってもたくさんの人々がイエスさまのところに集まってきました。
 そんな人たちに対して、イエスさまは、両方の立場の人たちが驚いてしまうようにおっしゃったのが今日の言葉です。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」
 その時、イエスさまの目は、神さまが、そもそも最も愛されたもの、何のためにこの世界をつくり、命をつくり、人の誕生を望み、何のために戒めを授けたか。神さまが最も大切にされたものに目を向けているのです。律法の一点一画が落ちていてはならないほどのものとして、神さまが大切になさっているものは何か。そうです、それは、あなたのいのちです。イエスさまの目の前にいる、貧しいかもしれない、欠けだらけかもしれない、でもその人のいのちです。間違いだらけかもしれないあなたです。生きていることに喜びを感じることができなくなっているかもしれないあなたです。罪と弱さからどうしても離れることのできないあなたです。つまりわたしです。つまりこのわたしです。完成されなければならないもの。一点一画をさえ欠いてしまってはならないほどに、神さまから大切にされ、神さまが慈しんでおられるのはこの「わたし」という命なのです。
 律法の一点一画とは「わたしのこと」であり、わたしへの神のみこころのこと。全く、欠けてしまうことなく、失われてしまうことなく、神はわたしの祝福と救いを完成してくださろうとしています。

 わたしの人生には、愛されることと、赦されることがどうしても必要です。それがなければ生きていくことができません。どこかでとぎれてしまうでしょう。
 自分で自分の人生を完成させたいと、どう積み上げていっても、どう整えていっても、どこかの点が消えてしまう。どこかの画が崩れてしまう。どこか歪んでしまう。それが現実です。一点一画どころか、いくつもの点や画が崩れてしまっている。もし自分で自分を完成させなければならないなら、そうしなければ自分の人生が祝福されないならもう無理です。
 けれども、わたしが「生きていける」のは、わたしという存在がそれでも祝福されていると感じることができるのは、この欠けたままのわたしを愛するまなざしを知るからです。わたしが「生きていける」のは、この崩れたわたしを赦してくださる赦しを知るからです。イエス・キリストの十字架という神の赦しの印が与えられているからです。イエスさまのの伴いと祈りをいただきながら、神さまに受け入れられ赦されていく。そのようにして、わたしは、創造されたいのちとしての完成、祝福されはじまり、祝福されて神さまの元に帰っていく人生が完成されていきます。わたしが、完成させるのでなく、イエスさまの十字架がわたしの人生を完成させてくれるのです。キリストの十字架は、わたしの人生の一部なのです。イエスさまが、一点一画も落ちてはならない大切なわたしの命の一部なのです。これがインマヌエルということなのです。

 今日は巻頭言に、アインシュタインが娘リーゼルに宛てて書いた手紙を抜粋して転載しました。20世紀の天才と言われた物理学者です。電子や分子にかかわること、宇宙にまつわること、生命の存在について、この世界の成り立ちの根幹にかかわることについて理解していくためのとても大切な理論を発表して、物理学や哲学にものすごい影響を与えた人です。科学全般の新しい基礎を提供した人ですし、同時に、それゆえに人間の科学の暴走の端緒をつくった人物だと言えるかもしれません。それはその後の人間の責任ですけれども。そんな現代の物理学、諸科学の巨人とも言えるアインシュタインは、晩年は、戦争の根絶と核兵器の廃絶を求める運動に力を注ぎました。そして彼が残した言葉、それが、人間とこの世界にとって、最大の、最強の原理、力があるとするならば、それは愛だ、と宣言しています。
「人が全世界を設けても、もし自分の命を失ったら何になろうか。」命を保つもの、それこそが愛です。この世界という命が、神さまのお望みによって創られ、神さまの御心に締めくくられて行かねばならない、この世界という存在の一点一画も落ちてはならないという時の、その一点一画をつなぎとめ、保とうとするものが、イエス・キリストによって示された神の愛、神の赦しであることを、私たちの世界観としていきたいと思います。
 成人を迎えられるみなさん、みなさんの命は決して失われてはならない貴いもの。そしてあなたの人生は一点一画抜け落ちてよいようなものはない素晴らしいものです。それを、守り、それを支え、それを完成させてくださるのは神の愛、イエス・キリストの恵みであることを心にとめて歩んでください。

 巻頭言に代えて 『アインシュタインが娘のリーゼルに宛てた手紙』より抜粋
          (死後20年間公開しないという指示を添えてヘブライ大学に寄付)
愛しいリーゼル
 私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、私が人類に伝えるために、今明かそうとしているものも世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。必要に応じて何年でも何十年でも、私が下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。現段階では科学がその正式な説明を発見していないある極めて強力な力がある。それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。この宇宙的な力は、愛だ。
 科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。愛は光だ。それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。愛は引力だ。なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。愛は力だ。なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。
 愛は展開し、開示する。愛のために私たちは生き、また死ぬ。愛は神であり、神は愛だ。この力はあらゆるものを説明し生命に意味を与える。これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。
―中略― もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。恐らく私たちにはまだこの惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さなしかし強力な愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。私たちがこの宇宙的エネルギーを与え、かつ受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼル私たちは愛がすべてに打ち勝ち、愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。なぜなら愛こそが生命の神髄だからだ。                   お前の父親 アルベルト・アインシュタイン

私たちも、共々に、愛と赦しによって、我が人生を完成してくださるキリストに、自分自身を明け渡したいと思います。そして、キリストに愛された者としてしか生きられない歩み、キリストに赦された者としてしか生きられない生き方へと、共に進み出ていく決意をしたいと思います。


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