「待つこと、受けること。」 (ルカによる福音書 1章 39〜56節)

投稿日時 2018-12-02 20:10:35 | カテゴリ: 週報巻頭言

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。
(ルカ1:45)

アドベント(待降節)を迎えました。まさしく「主の御降誕を待つ」ように過ごす季節です。この「待つ」という態度・姿勢は、人間にとって極めて重要な姿ではないかと思います。聖書に記されている人間(登場人物)たちが、どの時代においてもどの場面においても必要とされ、神から期待されてきた力が「待つ力」ではなかったか、とさえ思ってしまうことがあります。出エジプトを経験していくイスラエルがそうです。預言者たちの闘いがそうです。
そしてまた、聖書が描写する人間の罪性には「待てない姿」が多分に含まれています。(シナイ山麓での金の牛祭りしかり、バビロン捕囚の際のニセ預言しかり、12弟子たちの失敗談しかり、十字架につけよと叫ぶ群衆しかり、です)。
 いま、チキンラーメンがブームですが、カップ麺の3分が待てないことがよくあります。なにしろ熱いのが好きなので、ぬるくなるのががまんできない。もうえぇやろ!と、ふたをひっぺがしてたぐりこむと「もうちょっとやったなぁ」ということが。そんなことぐらいならまあ良いですが、「待てない」ことで交通事故が起こり、「待てない」ことで人間関係がぎくしゃくし、「待てない」ことでパニック騒ぎや暴動が起こり、「待てない」ことによって民族紛争が引き起こされていくことさえあることを考えると、「待つ」という態度は人間にとって大切であり、かつ困難なものであるように思えます。
待つ・・・。それには、忍耐力が必要です。その忍耐を支えるものとして、信頼や信仰が必要です。待つ相手や事柄への優しさが必要です。待つ必要の無いものと待つべきものとを峻別する洞察力も必要です。求める力、しかも表面的な欠乏感ではなく、求め自体を問う「問い」が必要です。待降節・・・。それは、神さまへの信頼を豊かに高めていく時です。「救い主」を迎えるのですから、救いって何だろう、人間の幸福って何だろう、といつもより丁寧に見つめていきたいと思うのです。今の時代が、どのような叫び声に満ちているのだろう、どこで、誰が、どんな救いを求めているのだろう、と、新聞を読みながら、ニュースを見ながら、聖書の御言葉と重ね合わせて見つめてみること。そうした自分なりの「思い巡らし」をもって過ごすのが「待降節」なのかな、と考えたりしています。
 (吉癲ヽ陝法                                                                                                                                     




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