「神の言葉を伝える」  (マタイによる福音書 5章3節)

投稿日時 2018-12-30 20:33:32 | カテゴリ: 週報巻頭言

                           
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
(マタイ 5:3)
僕は学生時代に語学を勉強し、今は通訳として働いています。言葉の成り立ち、というものに自分が興味を惹かれることが多いのは、おそらくそのような経緯があるのでしょう。先日もボーっとあることを考えていました。・・・『社会人』ってなんだろう?
ある辞書ではこのように書かれています。「社会人とは、実社会で働いている人。 社会の構成員としての個人。」これではあまりに曖昧で、現実味のない説明とも言えるかもしれません。ただ、よく考えると一つの焦点が見えてきます。それは「社会とは誰によって構成され、動かされているか」ということです。
聖書が書かれた当時のユダヤ社会で、律法は大きな役割を持っていました。ユダヤ民族のアイデンティティが脅かされる歴史が繰り返されるなかで、彼らは自分たちを肯定してくれる何かを律法に求めたのでしょうか。それがやがて「神さまは律法を守るものだけを愛される」という思考へ変質していったのかもしれません。どのような経緯があったにせよ、イェス様の時代には律法理解を司る人たちが社会を動かしていました。
イェス様が足しげく訪ね、教えに多く登場させたのは、その律法から外れた人たちでした。社会を動かす力などない、そもそも社会の構成員としてさえ数えられていない人たち、自分の価値を証明する術を持たない人たちを取り上げて「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのもの」と福音を告げ知らせたのです(マタイ5章)。
それは苦しんでいる人を慰めるための、ただの作り話ではありません。イェス様は「神の国は、あなたがたのただ中にある」と言い切ります(ルカ17章)。それは目には見えないもう一つの現実であり、もう一つの実社会です。
わたしには、それが見えるでしょうか。あなたには、それが見えるでしょうか。
                                (原口 建)                                                                                                                                      




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