「思い出してごらん」 (ガラテヤの信徒への手紙 4章8-15節)

投稿日時 2019-05-19 09:42:49 | カテゴリ: 週報巻頭言

しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている。
(ガラテヤ 4:9a)
                            
 <私の信仰告白> 私は神学生の父と、幼稚園教師の母との間に生まれ、教会で育てられました。小学校5年生のときに「ひとりぼっちになったらどうしよう」という怖れと不安、自分の中にある「罪」の気づきがありました。教会学校でイエスさまが私の罪のために十字架にかかり、復活して共にいてくださることを学び、「イエスさまを私の救い主と信じます」と信仰告白してバプテスマを受けました。
 大人になっていく過程で、何度も形を変えて問いが生まれました。「私は、他の宗教がどんなものかを知らない。キリスト教しか知らないではないか」というものです。親が信じているものを、疑いなく信じてきた私が、「自分の信仰」だと自覚的に受け取り直すために、通るべき道だったと思います。揺れ動いた心が定まったきっかけは、ある小説の一節「人生はひとつの窓からみたほうがよく見えるものだ」というものでした。このとき私は、他の宗教との比較を通してではなく、自分が信じてきた「キリスト教」という窓から人生を見ていく、と心が定まりました。
 昨年度浦和教会では、教会の信仰告白(2002年)を教会学校で半年かけて学びなおしました。その学びの中で、「自分で決心した」と思ってきた信仰は、実は神さまからいただいた一方的な恵みだったということに気がつきました。ヨハネによる福音書にこうあります。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(15章16〜17節)。
 互いに愛し合いなさいと命じられる方は、どんな生き方を私に望んでおられるのでしょうか。私の母は2年前に召されました。前の晩、母の体をさすっていた私は、眠気に耐えきれず、うたたねをしてしまいました。母は「眠いとやね。かあさんも眠い。でも、きつくて寝られん」と体のきつさを訴えました。母の肉体の苦しみ、目を覚ましていてほしいという叫びを前に、私のからだと精神は眠ろうとしている。自分のふがいなさに絶望した夜でした。翌日、母の代理で教会員Yさんの葬儀の奏楽をするために出かけました。「Yさんご家族のこと、よろしくね」が母の最後の言葉です。
 私の弱さ、十字架の前でたじろぐしかできない私を、イエスさまは百も承知。でも「あなたにできることがあるよ」「よろしくね」と送り出してくださるのだと、そのような信仰をいただいて日々を歩んでいることを告白いたします。
(浦和教会・中嶋名津子)                                                                                                                  




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