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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-07-12 07:09:50 (0 ヒット)
週報巻頭言

 「祈りができないとき、祈りの言葉が口をついて出てこないとき、私はやっとの思いで『主の祈り』を祈ります。」という声を聞いたことがあります。心から同感です。わたしたちの中から、ほんとうにふさわしい思いや言葉がうまれない、たとえば、心がささくれだっているときや混乱している時などがそのような時かもしれませんが、そうした時にも、主イエスが「こう祈りなさい」とて教えてくださった「主の祈り」が傍らにある、これは私たちにとって、ほんとうに幸いなことだと思います。

◆イエス様が教えてくださった「主の祈り」は、祈りのお手本とか、祈りの一例というようなものではありません。ここには、「祈りのすべて」があります。祈りの中で人は何を祈れば良いのか。何を祈るべきなのか。逆に、何を祈ってしまってはならないのか。それが映し込まれています。
 祈りとは、その本質において「神の声を聴くこと」「神の想いを聞き取ること」です。
 生活の中に私たちの「思い煩い」は果てしなく沸いてきます。気になること、しなければならないこと、それらが次々と心のアクセルを踏み込ませ、手を動かし、身体を動かしてしまうのです。けれど、ほんらい「祈り」は、そのような思い煩いの「断念」の時です。祈りの時には、それまで動かしていた手を止めます。そして手と手を合わせます。動くこと、働くことを断念し、中断するのです。そして、自分の思いや自分の必要から時間や仕事をつくるのではなく、神の心を聴こうとする時間を「そこに」いただくのです。

◆人間には、生きる上で決して見失ってはならない根源的な事実があります。それは、「人間は神ではない。そして自分にはその人間としての限界がある。どんなに思い煩ってみてもどうしようもないことがある。そして決して、人間としての限界を踏み越えていこうとしてはならない」ということです。
 人間が自らの限界を忘れ、強引にそれを踏み越えようとすると、自らを滅ぼしてしまうのです。これは、ほんとうのことです。信仰を持つ持たないにかかわらず、この事実は、誰にもあてはまるのです。しかし、神と向かわない限り、なかなかその「人間は限りある存在である」というところに思いが至りません。「自分がなんとかしなければならない」「自分で全部やりとげていかねばならない」「自分が白黒をつけなければならない」その思いにかられて、無理なこと、無茶なこと、そして余計なことをしているものです。後の事に対して混乱を増し、禍根を残す。無くても良かったこと、しなけりゃ良かったことをたくさん生み出していきます。
「神さまが神さまである」ということと「私は限界をもった存在である」ということ。「主の祈り」の前半と後半は、まさに、このことではないでしょうか。天の神(父)よ、「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が地にも行われますように。」この三つは、「神さまが神さま」の、心です。
 後半の三つ、すなわち、「必要な糧を今日与えてください。」「わたしたちの負い目を赦してください。」「悪いものからお救いください。」これは、人間の弱さと限界を受けとめながら、「自分でその命の範囲を超えられませんから、どうかあなたの恵と憐れみによってこの私を精いっぱい生かしてください」という祈りです。「神さまが神さま。私は限りをもった命。」これが主の祈りを祈る時の基礎にあるシンプルな前提でありまぎれもない事実、大切な真理です。
 この6つの祈りは、そのまま、「人が何を祈って生きる存在か」を教えてくれています。「主の祈り」は、決して「人間の志」を祈っていません。人間の気高い精神や理想の生き方を祈っていません。人間の頼りなく脆い事実を知りながら、神の御業の満ちた大きな世界を求めるのです。ここにこそ、人が何を祈るべきかの全てがあります。
 「神さまの御名(神さまの思い)がみんなの喜びとなりますように。神さまの国が来ますように。神さまの心を映すわたし、神さまの心を受け取る世界、となりますように。あなたの養い、赦し、守りがわたしを包んでいてくださることを忘れませんように。」
 わたしたちは、主イエスから、何を祈るべきかの「すべて」を教えていただいています。そして、それは、わたしたちの命の範囲、神さまの前で生きる者の命の姿を形作られていくための祈り(いのちの祈り)だと言うことができます。

◆「すべて」というからには、逆に言えば、主の祈りを越えた祈りはしてはならないのでしょうか。そうです、「してはならない」と思います。「してはならない」というより「できない」というべきでしょう。
 「神さまの御名などではなく、わたしの名、わたしの思いがすべてを支配しますように」と祈ることはできません。「神さまの御心に反した世界でありますように」と神さまに祈ることはできません。「神さまの国などとは無関係にこの世の国が繁栄しますように」とは祈ることはできません。
「わたしに必要なものなら、明日の分も、他人の分も、わたしに回してください」と祈ることはできません。そして「いつまでも生きられるようにしてください」と祈ることはできません。「わたしの負債を赦してください。でもわたしの憎いあの人の事は決して赦さず、こらしめてください」と祈ることはできません。「わたしが、たとえ神さまから離れて悪人になったとしても、富み栄えることができるようにしてください」と祈ることはできません。
 このように「主の祈り」の「逆」を祈るなら、あるいは「主の祈り」の範囲を超えて祈るなら、そこには欲望と憎しみと傲慢と、そしてどこまでも暴力的な世界が広がっていきます。それは、きっと荒野でイエスを誘惑したサタンの声、「サタンの祈り」です。そう、確かにこの世は、このサタンの祈りの誘惑に引っ張られ続けているとも言えますが。

◆主イエスは、弟子たちに「主の祈り」を教えられました。世に遣わしていく人々にこの祈りを授けたのです。それは、この祈りが「世の祈り」となるようにとの主ご自身の宣教でもありました。何より、主イエスがその祈りを生きられました。自らの名が崇められることではなく、この世にご自身の国を打ち建てることでもありませんでした。それゆえに多くの人びとの失望と怒りの的となり、捨てられ殺されました。人々は、繁栄と永遠のパンを欲しがったのです。石をパンに変える「凄い力」を欲しがったのです。しかし、イエスは石をパンに変えず、「人は神の言葉で生きるのだ」とおっしゃって、命を支えるまことの糧の宣教に徹しられました。ゲッセマネの悶絶の末に、主は「御心のままに」と苦い杯を受け取られました。十字架の痛みの中で「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られました。「そこから降りてきてみろ、そうしたら信じてやる」。神を試みる誘惑の中で、苦しみの誘惑の中で、イエスは十字架に張りつけられたままとなり、「成し遂げられた」と言って「十字架上で」息を引き取られました。
 「御国がきますように。御心の天になるごとく地にもなりますように」。主イエスの命はまさにこの祈りに向けられていました。主イエスの生涯は「主の祈り」であり、「主の祈り」は主イエスの生そのものでした。十字架の死もまた「主の祈り」でした。
 初代教会の宣教は「主の祈り」と共にありました。十字架と復活の主イエスの命は「主の祈り」に重なりながら、これを祈り生きる者たちの人生を造り、支えて行ったのです。主イエスの想いを動かす聖霊がこの祈りを祈る人々を興し、この祈りを合わせる交わりを育て、この祈りを響かせる世界を創ろうと働き続けていったのです。

◆「主の祈り」は世界史に注がれた一滴の水のようでした。しかしそれはやがて世界の隅々に流れ出していきます。今日まで2000年の時代を貫き、あらゆる地域を越えて人間に問いかけ、招き、動かそうとしています。主の祈りをあざ笑う世界、サタンの祈りに冒される世界の中に、「主の祈り」を祈る人々が立てられています。「主の祈り」を祈れない世界に、主の祈りを祈る人々が遣わされています。わたしたちもまた、この世にあって、「主の祈り」を超えない命として立てられています。「主の祈り」を祈る者として生きています。「主の祈り」に素朴に、つまり真っ直ぐ向かい合うとき、私たちはつくり変えられていくでしょう。「養われているゆえにわかちあい」「赦されているゆえに赦しあい」「守られているゆえに支え合う」ことを学び、つくり変えられていくでしょう。「主の祈り」は生の道しるべ、祝福された世界のビジョンです。主の祈りを生きる。それが「宣教の焦点」でもあります。

◆もちろん、わたしたちは、日々の生活の中で、自分の様々な思いから湧き出てくる願いがあります。求めがあります。それらは祈ってはいけないというのですか。いいえ、祈っていいのです。それらの求めは、「主の祈り」を越えた祈りではなく、主の祈りに支えられ助けられています。渇き苦しむ時には、なおさら、叫びのような言葉が口をついて出てくるでしょう。求めてやまない呻きが嗚咽のように出てくるでしょう。それでいいのです。それらの心からあふれる言葉が、あなたに寄り添う主イエスの御霊に支えられ、そして主イエスの御名という道をとおって、神さまに聞かれ、神さまの御心と養いと赦しと守りがあなたのもとに帰されてきます。
 主の祈り。神さまは神さま。そして人は人。自らの弱さの中から、大きな愛と人知を越えた御心を求めて祈る祈りは、渇きの中から、呻きの中から、苦しみの中から、祈っていけば良いのです。神さまの御心は、主イエスをあなたに共ならせる事の中に決定的に示されています。「あなたを愛している。あなたが損なわれることを神は望んでおられない」ということです。そして「あなたを神の国のものとしたい」のだと。
 主の祈りに支えられながら、日々の祈りを祈るとき、私たちは、この神の声を聴き取らせていただくのだと思います。
                              


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-07-05 12:15:29 (14 ヒット)
週報巻頭言

テサロニケの信徒への手紙から数回メッセージをさせていただきました。今日は、その
最終章 5 章から聴いて参ります。
テサロニケ伝道がどのような状況にあり、テサロニケの人々へのパウロの思いがどのよ
うなものであったのか、を聴きました。
またテモテを派遣し、派遣されたテモテがテサロニケで見たものは何だったのか。想像
力を働かせながら、迫害の中を懸命に生きている人たちの生き様を考えました。
今日の巻頭言の中では、迫害をするテサロニケのユダヤ人たちの「怒りの理由」、その
暴力の「出所」についても少し黙想・連想を書かせていただきました。
テサロニケはマケドニア州の首都、最大の街です。ローマのマケドニア支配の中心地で
あり、ギリシャ文明とローマ支配文化とが融合している街です。パウロたちがフィリピか
ら追い出され、この街に出会い、宣べ伝え始めたとたんに妨害を受け、支配当局に告発さ
れ、弾圧の最中に脱出していく様子が使徒言行録 17 章に記されています。テサロニケの
ユダヤ人たちの妨害と迫害は、かなり激しく執拗で、脱出したパウロたちを追いかけて来
たとさえ書かれています。なぜでしょう。「信仰的な理解」が許せなかったから(宗教的
動機)でしょうか。一概にそうとも言えないのではないか、という連想を巻頭言に書かせ
さいただいた次第です。
往々にして、歴史の中で引き起こされた「迫害」とは、信条の中身ではなく、政治的・
社会的な勢力問題とか利害問題への遺恨が原因です。そして、その背後に、もっと大きな
暴力支配があるので人間はそのように外部からの暴力を内在化させてしまうわけです。「聖
書に記された約束を待ち望んで学んできた人々」が、「聖書の約束の実現を喜んでいる人
々」を迫害するという悲しい矛盾、ローマの暴力が「律法や預言を学んできた人々」の内
部に持ち込まれ、内部の分断、内部の暴力を生み出してしまうのです。
こうした分断の力がうねり狂う世界の中で、福音を伝え、福音で生きようとしたのが初
代教会の人々です。押しつぶさんばかりに迫る圧迫の中で、繋がりをたぐり、結び目を強
くし、手紙を書き、それを読み、生きるための言葉を探し、何を信じればよいのか、何を
尊ぶべきなのか、何を守っていくのか、自分たちの社会の中にあって何を見つめるのか、
まなざしを向けるべきものは何なのか、そして誰に対してどのように働きかけるべきなの
か、を懸命に探りながら、祈りながら生き抜いていた初代クリスチャンたちを想像しなが
ら、聖書を、とりわけ新約聖書の諸文書を読んでいきたいと思うわけです。
本日お読みした 12 節には、「あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒め
る人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しな
さい」とあります。これはテサロニケ教会の指導者たち、リーダーたちのことだとと考え
られます。指導者たちを重んじ、愛し、尊敬しなさい、と言うわけです。今で言うなら、
牧師を重んじ、愛し、尊びなさい、ということなのでしょうか。牧師、教職者、聖職者、
そういう教会の職制を大事にして、権威に基づく教会秩序を保ちなさい、そんなことを言
っているとは私には思えません。テサロニケにあってこの集団は、聴いたばかり、信じた
ばかり、集まり始めたばかりの信仰共同体です。パウロの証を聴き、聖霊に心動かされ、
イエスの十字架の意味に自分の人生を重ね、復活の福音から自分たちの人生を再解釈しよ
うとし始めた、その「宿った熱」「打ち直された心」に従って、妨害を受けながらも留ま
り続け、証をしていた人々こそが、ここで記されている「主に結ばれた者として導き戒め
る人々」のことです。
テサロニケ。暴力を恐れながらもその暴力支配を内在化させて、他人を力で支配しよう
としている人間の社会。金の力、社会的地位の力に忖度し、利害・損得で生きていこうと
する生き方が蔓延してしまったテサロニケの街。この街にあって、イエスという人の生き
方や言葉が放つ、「人間へのいたわりと寄り添い」「弱さへの慈しみと憐れみ」「いのちへ
の祝福と解放の宣言」によって、誰もが、縛られてきたものから解き放たれていくのだと
いう福音を証しようとする「そのような業」を、重んじ尊んで行きなさいという勧めです。
そう考える時、私たちが、いまこの時代にあって「まなざしを向けるべきものは何か」
「誰のどのような働きを尊ぶべきであるか」を見つめ直してみたいと思うのです。
それは、まさに、いったい、この時代に、誰が、神の創造されたいのちが保たれる用に
と働いているのか。分裂させられそうになっている関係を結び直そうと誰がどんな働きを
しているのだろうか。傷を負うている者が癒やされるために、負債を背負うている者が解
き放たれるために働いている人は誰か。私たちの間で労苦している人たちを見い出し直す。
先々週、「神さまを宣教しているのは人間だけではない。自然のあらゆるものが、たと
えば辺野古の海が、神の創造の尊さを宣教している」と話しましたが、同様に「神を宣教
しているのは教会だけではない。キリスト者だけではない。むしろ、この世にあって、癒
やしと解放、いのち慈しむ業のために労苦している人たちは誰なのか」と問い直す。その
人々、そのような業にしっかりと目を向け、重んじ、尊び、私たちが学んでいく、という
ことを、この 12 節から聴き取り直したいと思うのです。
例えば、新コロナウィルスの感染恐怖のただ中にあって、いのちのために昼夜を徹して
働き続けたとされる医療従事者たちの存在。国際的には、たとえば国境なき医師団のよう
な人々。職と住まいを失っていく人々にとにかく住居をとファンディングを呼び掛ける運
動。辺野古の海を埋め立てさせまいと座り込む人々。人種差別をもうやめようと声を上げ
る人々。いのちの回復や解放、生きることの支援のために、マイナスを背負いながらも携
わっている人たちの業。私たちは、そのような人々の歩みを重んじ、尊び、できれば繋が
っていたいと思います。私が、それを直接できなくても、そこに目を向け、祝福を祈り、
そこに何かを聞き取り学びながら、神の御心を受け止め直す、そのような礼拝を続けるこ
ともまた、私たち教会の業ではないでしょうか。
それゆえに、14 節にある、怠けている者たちを励ますこと、気落ちしている者たちを
励ますこと、弱い者たちを助けることも、問い直しを受けます。この神さまのいのち慈し
む業の前で、怠けてしまうとはどういうことを指しているのかの問い直しです。この時代、
この社会の中、気落ちさせられている人々は誰なのか、なぜそのように人は気落ちさせら
れてしまうのか、弱い者たちはどこにいるだろうか、よく探すように「まなざしを向けて」
いきたいのです。神を尊ぶことを目的とする私たちの礼拝が、同時に、この世にあって(私
たちの間で)労苦している尊ぶべきものにまなざしを向けることとなり、イエス・キリス
トを感謝する礼拝が、同時に、励まされるべき者たち、助けられるべき人々にまなざしを
向けていくものであるような、私たちはそのような礼拝を捧げていきたいと思います。忍
耐強い礼拝とは、まなざしを自分に向けて終わりにすること無く、神と世にまなざしを向
けつづける礼拝のことではないでしょうか。
続いて 15 節に「悪をもって悪に報いることがないように」と諭されています。
この世界は世俗主義、個人主義、物質主義、成果主義ですっかり回っています。イエス
様の教えてくださった天国、神の国の価値観・イメージに対して、「ばからしい」と異を
唱えるイデオロギーや風潮が蔓延しています。
イエス様の招きや約束、イエス様の教えは、福音・良き知らせなのですけれど、偽りや
ごまかし、不公正や差別、独占や抑圧を推し進める勢力にとっては、イエス様の福音は、
むしろ「悪い知らせ」なのです。福音という人間を解放し、関係を変革するメッセージは、
今日の世界にとって「悪しき知らせ」として邪魔者扱いされ、笑われ、退けられ、場合に
よっては妨害を受けるかもしれません。けれども、その悪しき力に対して、私たちはあく
までも、「良い知らせ」の響きに立って、イエス様ならどうなさるだろう、という思い直
しに立ちながら、向かい合っていきたいと願うものです。
悪しき力に良い力で向かい合っていく、そのために 21 節にあるように「すべてを吟味
して、良いものを大事に」しようとしていく努力が大切になってくるように思います。良
いものを吟味するのです。良いものを選び出すためにすべてを吟味するのです。
そのために「吟味する指標・ものさし」を私たちは何事につけても持って行きたいと思
います。たとえば・・・
・そこには権力・宗教的なパワーの乱用が起こっていないだろうか。
・痛みをごまかさせようとする「覆い被し」が起こっていなしだろうか。
・信じることを語ることができる自由があるだろうか。
・本人の自己決定を大切にしようとしているだろうか。
・相手に対する先入観が働きすぎていないだろうか。
・相手をその人の属性で判断し、勝手に解釈しようとしていないだろうか。
・相手をまず尊重しようとする態度が保てているだろうか。
・その「正しさ」は、ほんとうに相手を励ましているだろうか。
・イエス様は、どのように語るだろうか。イエス様は、どのように為さるだろうか。
こうした「吟味のための指標」を学び直していくこととして、私たちは礼拝に参与して
いくのです。まなざしを向けるべきもの、尊ぶべきことと励ますべきものを見いだし、良
きものを吟味するものさしを心に頂くために、私たちは、聖書を読み、礼拝を捧げ続けて
いくのです。


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-28 08:58:54 (17 ヒット)
週報巻頭言

◇先日の木曜日の昼前に、嬉しい小包が届きました。開けてみると二冊のアルバムが入っていました。ハンセン病国立療養所・大島青松園(香川県)に生きる写真家、脇林清さんの写真集でした。差別・排斥と隔離収容の島としての大島の歴史のアルバムと、瀬戸内海に浮かぶ自然がそのまま残された美しい島としてのネイチャーフォト集。深い感慨につつまれ、いくつもの思い出がよみがえってきました。
 時代は残酷でした。ハンセン病に感染することで、人間としてのありとあらゆる尊厳を剥奪され、生きてきた意味・生きている意味を否定された人々。「社会」への接触を禁じられ、他人とのディスタンスを強要され、触れあうことを「自粛」させられてきた人々。周囲を海に閉ざされた世界で聖書を読み、礼拝を捧げ、「ここも神の、み国なれば」と賛美を歌い続けた人々。それが大島青松園で私がみた人間の過酷な現実でした。社会の残酷な姿でした。
 少年だった私は、いままで見たことの無い「厳しい生」に心が震えました。と同時に、それ以上に、なぜ、そのような人々が「神を信じ、イエス・キリストを慕うことができるのか」という謎に心を揺さぶられたのでした。大島のクリスチャンたちへの驚きと尊敬の念は、少年だった私を回心させてしまいました。当時、音大に行きたいと思い、音楽高校で学んでいた私でしたが、その進路を変更し、神学校受験へと向きを変えました。私が転身するほどの何かを掴んだのではなく、大島の人々が出会っていたイエス・キリストに、私が捕らえられてしまったのかもしれないと思います。
 私は、それからというもの、月に一度の高松常磐町教会からの礼拝訪問団に毎回加わり、渡船に乗って大島の礼拝、大島霊交会の礼拝に繰り返し出かけていった。しかし、もしかしたら、私にとって神学校への道のりは、大島の人々から送り出されたもののではなかっただろうか、と思ったりもしています。
 1984年。兵庫県伊丹市の教会の牧師になり向かえた就任式。大島の教会員たちからお祝いのカードが届きました。それには、こう書かれていたのです。
「叶君。牧師就任を祝います。
 悩むこと迷うこと、それがあなたが生きているということだ。
 しかし、キリストを疑ってはならない。
 キリストを心の中から葬り去ることは、あなたが死ぬということだから。
 キリストにあって生きる。その意味ある人生を、人々に宣べ伝えるために、
 あなたは、試練を乗り越えていって欲しい。
 キリストにのみ、生きることを喜んでいる大島霊交会一同の
 あなたへの祈りです。」

 キリストに生きてみようとして歩み出したばかりの青年に届けられた、「キリストにのみ生きることを喜ぶことができている人々から」の厳しい人生と信仰の実存とをかけた激励の手紙でした。

◇本日より一週間は日本バプテスト連盟の神学校週間です。神学生たちは必ずしも「若者」とは限らないのですが、きっと気持ちは「若者のように」学んでいることだと思います。若者は遣わされて学びます。若者は迎えられて育つのです。また見て、揺さぶられ、その体験を考え抜きながら「経験」として普遍化(言葉化)するプロセスを自分でたどっていきます。それが成長するということでしょう。若者が見るものは何か。若き伝道者が見るものは何か。それは、イエス・キリストが、厳しさに喘ぐ人々の中で生きて働き、しかし、そこに(キリストが)希望を湧き出させているという事実を見て、希望を語ろうとする宣教者とさせられていくのだと思います。

◇本日は、テサロニケの信徒への手紙一の3章をテキストとしました。もちろんパウロの言葉です。けれども、本日はパウロの言葉に表された彼の思想の方にではなく、この箇所に書き留められているテモテの方に、つまりパウロからテサロニケの群れに派遣されたテモテにフォーカスをあて、想像力を膨らませながら読んでまいります。
 テモテはパウロが大変信頼していた若者です。第二回の伝道旅行の際に、リストラという町で出会いました。父はギリシャ人、母はユダヤ人(ロイス)で、母の影響で幼い頃から旧約聖書を学んで育った若者でした。テモテはパウロと出会うことによって旧約聖書に記されている神の救いの御心が、まさにナザレのイエスという人によって現され、十字架に架けられ復活されたそのイエスこそが「キリスト」であるというパウロのメッセージを、柔軟な感受性で受信し、自分の明確な確信として立ち上がった若者だったと思われます。パウロもまたこのテモテの姿に感銘を受け、その後の伝道旅行に同行させていきます。おそらくは、まだ20代の若者でありました。とはいえ、テモテにしてみれば、パウロに同行したとたんにフィリピでのさんざんな迫害を受け、逃げのびてたどり着いたテサロニケでも、伝道活動にあからさまな妨害が加えられ、身に迫る危険の中、深夜にテサロニケを脱出するという危機一髪の経験もしています。伝道活動とは決して誰にも歓迎される旅行ではないのだ、という厳しい洗礼をいきなり受けながら歩み始めたのがこのテモテです。
 そのようなテモテは、パウロとの道中を共にしながら、師匠パウロのこともよく見つめていたのだと思います。ヒィリピでの投獄の出来事を回想したり、不十分なかたちで切断させられてしまったヒィリピやテサロニケでの伝道を思い巡らせる毎日。しかも、テサロニケでは、未だにユダヤ人たちの執拗な妨害や嫌がらせが続いているようだとの知らせも入ってきます。とても気に病んで、「どうしているだろうか」「キリストは彼らの中に生きているだろうか」と心配し、念じるように祈って過ごしているパウロの姿をテモテはずっと見つめてきました。アテネの町に着いたのち、とうとうパウロ先生が、「テサロニケに行ってみたい」としきりに言い始めた。でも今は、この町で手が離せない。苦悩するパウロと話し合う中で、テモテはパウロの想いを受けてテサロニケに行くことを決断したのだと思います。
「わかりました。パウロ先生、ぼくが行ってきますよ、見てきますよ」。そのように出立してはみたものの、心細かったと思います。恐い思いをしたテサロニケでの騒動を忘れてはいません。命からがらテサロニケを脱出してペレアに到着した時でさえ、そのペレアにまでテサロニケのユダヤ人たちが追いかけて来たのでした。そんな執拗な迫害者たちが睨みをきかしているテサロニケに、彼は遣わされていくのです。「いったいこの自分が、パウロ先生に代わって、テサロニケの人々を励ますことなどできるのだろうか。」心許ない想いとの闘いだったと思います。
 他方、テサロニケのクリスチャンたちにとって、テモテを迎えることはどういうことだったでしょうか。パウロの教えを受けてイエスを信じる者となった結果、仲間は投獄され、自分たちの財産は没収、良くても管理下に置かれる。迫害者たちの嫌がらせはあらゆる生活場面に及んでいる。しかも、イエスの名とその道とを教えてくれたパウロ先生は、もうここにはいない。そのような中を、キリストの力にすがって懸命に「隠れキリシタン」とも言える生活と群れの営みをしている。それがテサロニケの群れの実情でした。「順調に伸びている我々の教会に若い神学生を招いて、奉仕をしてもらい、教会のいろはを学んでもらいましょう」などという高飛車なシチュエーションではありません。「たまには若い人のフレッシュな話を聴くのもいいですね。お招きしましょう。」そんな悠長なイベントではないのです。妨害に翻弄されそうになりながら、必死で生き抜いている、そんな自分たちの全生活を振り絞るようにして、この若い「伝道者の卵」を迎えたのです。そして懸命に繋ぎ続ける交わりの中に抱き込んだのです。
 テモテは、そのような信仰生活の現場の中で問い続けたと思うのです。「なぜ、あなたたちは信仰を捨てないのですか。」「なぜ、信じられているんですか。こんな状況の中で、なぜ、何が、あなたたちを支えているのですか。」一緒に隠れながら、一緒に集まりながら、一緒に潜み、賛美し、祈り、主の晩餐を酌み交わしながら、テモテは、遣わされたテサロニケで、そのキリストに捕らえられた者たちの「厳しい姿」を見たのだと思います。しかし、その厳しさを浴びている人々の緊張あふれる表情が、キリストの名を呼び合うときに、得も知れぬ穏やかさと平安に包まれていく、そんな人間の生命の不思議を見たのだと思います。そして、厳しい人生を生きている人々が、その厳しさの中から放つ優しさと忍耐の力をテモテは見たのだと思います。大島の人々の言葉ではありませんが「キリストにのみ、生きることを喜んでいる」テサロニケのクリスチャンたちの、信仰の迫力を見たのだと思います。テモテは、派遣され、迎えられ、そこで見たもの、感じたもので、育てられたのです。テモテは、まもなくパウロのもとに帰ります。テサロニケの人々の信仰と愛が息づいていることを報告し、パウロを喜ばせます。パウロ自身が7節に記しているように「わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました」(とあるように)励まされているのです。出会いも別れも、艱難も危難も、主の手の中にある、そのことを心底感じ取りながら、パウロは自分が握りしめようとしていた「伝道の成り行き」についても主に委ねることを会得していったのです。と同時に、テモテを派遣して良かった。テモテを育ててくれたのはまさに出会いであった。あの人たちの姿であった。あの人たちを支えていたキリストが、テモテを支え、テモテを育ててくださるのだ、パウロはそのことも確信したのではないでしょうか。
 若者が見たもの。それは、何だったのでしょうか。若者は、何を見たとき、何を見せられるとき、育てられるのでしょうか。今は、新コロナの霧の中で歩む教会ですが、置かれた場面がどうであれ、そこでわたしたちが生きる生き方を、若者たちは見ている。そのことは大切に心にとめていきたいと思うのです。


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-21 13:03:43 (19 ヒット)
週報巻頭言

 「新コロナショック」によって、私たちは思わぬ打撃と揺さぶりを受けました。仕事上、生活上、学業上の異変を強いられ、心身に得も言われぬダメージを被っています。抱えている不安の所在も輪郭も判然としないまま霧の中を歩んでいるようでもあります。
 しかし、そのような中、私たちは改めて明確に捉えるべきテーマをいくつも届けられているようにも思えるのです。
 その内の一つのことが、「私たちは今回のことを通して『人間や社会の安全保障』について考え直さなければならない」ということです。全世界に急速に新コロナウィルスが広がり、いわゆる「先進国」が軒並み機能不全に陥っていく過程を見つめながら、これまで莫大な予算を投じて配備してきたものが、この危機・このパンデミックに対してなんの役にも立たないものでしかないことを知りました。端的に言えば「武力防衛・武力装備」のことです。他方、この予算拡大・獲得のために削りに削ってきた医療インフラや人員削減、その結果として民衆が被った苦しみ・痛みは計り知れないものでした。また、そもそも今日・この世界の対立を深める原因となってきた「新自由主義」が、かなり脆(もろ)いシステムだということも、「マスクがなぜなくなるのか」というとても身近な事実から知らされたのでした。新自由主義も防衛戦略も、どちらも「だめ」でした。
 大切なことは、みんなが同時的に直面したこの事実をきっかけに、大災害や新型疫病の脅威に向き合う時代の「安全保障」を地に足をつけて考え直すことです。できれば、地域レベルの発想、人間の生活と日常活動の視点で考え直していくべきでしょう。国家や国防という次元になると、「わざわざ対立を煽り、事を難しくしておいて、対策に巨費を投じるような茶番劇的な悪循環」が起こってしまうのですが、そのような構造に、民衆・主権者たちの大切な財や能力を搾取され投下されてしまってはなりませんし、未来を創る力を削がれてしまってはならないのです。むしろ地方区域(地域)の中で機能する医療、地域の人間が地域の中で力を奮える福祉(扶助・共助)、地域の中で生産し提供し分かち合える「職や食」、地域の中で災害に備える防災・避難システム、それらを大きく保障していく国家の役割。「安全保障」というものを地域の再創造のビジョンから捉え直していくために、できるところから方向転換していったほうが良いと思います。
 「イージス・アショア」という肝いりの防衛計画が頓挫しました。危険を回避できず、採算に合わず、装備しても役に立ちそうにないから、という理由からです。与党内から撤回を求められても安倍首相が断念に踏み切るくらいですから、「無用の長物」さ加減が甚だしかったのでしょう。「日米安保の中身は要するに武器の『爆買い』なのだ」というお粗末な内容です。しかし、それはこれまでの「原発」事業という国策にも言えることでした。そして辺野古基地建設にも同様のことが言えます。
 軍港としての機能と3000メートル級の二本の滑走路を併せ持つ「本格的・恒久的な米軍基地」を辺野古につくるという計画は、とうの昔、1955年代には既に米軍のマスタープランの中にあり、1966年の海軍及び海兵隊の基地計画書の中には明記されています。それは隠されていましたけれども。1995年に「アメリカ兵少女暴行事件」をきっかけに沖縄県全域で県民全体が沸騰するかのように起こった基地撤去運動を受け、橋本政権とクリントン政権による合意事項として普天間基地の返還が決められましたが、それは代替基地の県内移設を条件とするものでありましたし、その移設先として、既に辺野古は決定済みでした。辺野古は貧しい、辺野古はベトナム戦争の頃の賑わいを取り戻したがっていると米軍は踏んでいました。しかし、辺野古住民を始め名護市・沖縄県民は何度も反対の民意を示し、辺野古基地建設のストップを公約にした玉城デニーさんが県知事当選を果たした直後の2018年12月より強引な埋め立て工事が始まったのです。ところが、埋め立てを始めからわかったことですが、辺野古沖の海底の土壌はマヨネーズのように柔らかく、7万7千本の杭を打ち込んでも70メートルまでしか届かない(軟弱地盤は海面下90メートルあります)不安定なものであることが調査でわかりました。それゆえ基地建設の工期は予定をはるかに超え、また莫大な追加予算を投じても確証のつかない建造物となります。「イージス・アショア」どころではありません。取り返しの付かない泥沼に入り込み、未来に対して、ぬぐうことの出来ない汚物を沖縄の海に残してしまうことになります。今は、まだ工事全行程の2%です。「もう始まってしまった」ではなく、「今なら傷を修復できる」。その今のうちにこの無意味な工事を断念し中止すべきです。
 報道はこの辺野古の海の土壌を「軟弱地盤」と表現しています。しかしそれは、「巨大な基地を建築する」という物差しで語るから「軟弱」と語るのであって、ちっとも悪いことではありません。「軟弱」なのではない。優しい地盤なのです。珊瑚の層を柔らかく支えている優しい土壌なのです。その珊瑚の浅瀬の海をジュゴンが泳ぐ暖かい地盤なのです。そしていま、その土壌、その地盤が、呻いているのです。「基地はいやです」と。「戦争のためにこの海を使わないでくれ。」「戦争や基地を、この海は受け止められない」と、そう言っているのです。
 今日読ませていただいた聖書ロマ書8章には、被造物の呻き、被造世界の苦しみのことが記されています。虚無に服しそうな、滅びへの道に隷属させられる自然世界が呻いているのだと。悪い力に利用させられ、神の祝福の姿を傷つけられている被造物世界がうめき声を上げているのだと。しかし、神の天地創造の思いを吹き込もうとする聖霊が、またキリストの愛と癒やしの思いを吹き込もうとする聖霊が、その被造物の呻きを共に呻き、その解放と回復のために一緒に呻きながら働いていてくださるというのです。「聖霊が共に呻いているとき」なのです。優しく柔らかく暖かい辺野古の海の地盤の呻きを聴き、その呻きと共に触れあって鳴いている聖霊の呻き声を私たちは、心に聴いていくべきではないでしょうか。
 神さまの御業を宣教できるのは人間だけだという思い違いをしないで、この自然世界、被造物世界そのものが神さまの御業を宣教していることに、私たち人間はもっと謙遜になって気づいているべきです。神さまの御業を証する大地や海は、時に呻くのです。時に叫ぶのです。大地そのものが、海そのものが、人間の不正義というか傲慢のために呻いていて、神に叫んでいるのだと。今日は、そのことを心に留めたいと思います。沖縄の海、辺野古の海のことを、私たちは、政治的なテーマのもとで見つめるのではなくて、神さまの創造の思い、聖霊の働き、そして神の御業の証、神の祝福の未来への継承のテーマとして見つめていくことが大切なことだと思います。
 新コロナの悩みに閉ざされる中で、私があたらためて大切なこととして知らされたことの一つに、この苦しみを共感し、互いにその痛さや痛みの裾野を慮り、共感していこうとする「共感力」の大切さだったと思います。このパンデミックの中に、奪われていくものの多さに、閉ざされていく事柄の大きさに、手が出せずどうにもならない不透明さに、私たちの誰もが悩み、不安に包まれ、またダメージを受けてきました。医療従事者の苦闘はテーマ化されましたけれども、実は誰もが苦闘を強いられていたのです。仕事と住まいとの両方をあわせて失っていく人々は、これから加速的に増えていくと思われます。「あなたは何が痛かったのですか。」「あなたはどのようにお辛かったですか。」その一つ一つの痛みに共感する力が、これから私たちがコロナ後の社会を創造していく上で、大切に身につけたい「能力」であると思います。
 相手の苦しい様子を聴いて「辛いね」と言葉をかける。沖縄の島言葉では、そのようなときに「ちむぐりさ(ちむぐるさ)」と言います。とくに沖縄のおばぁたちがよく口になさいます。漢字にすれば「肝苦しい」です。意味は「他人の苦しみ哀しみを知ったときに、自分の肝(きも・ちむ)・はらわたもその人と同じように苦しくなる」という感じです。沖縄の島言葉には、このように「感覚」を他人と共有しあう言葉がたくさんあります。
「肝・ちむ」「心の奥底」が振動するのです。標準語の「肝に銘じる」も沖縄口(うちなーぐち)では「肝に染みゆん(ちむにすみゆん)」と言います。心に刻みつけるのではなく、心を染めてしまうのです。「意識的にそうする」のではなく「自然とそうなる」のです。こういう共鳴、共振、共感が自然と染みるように伝わる感受性を暖かく育ててきた文化が沖縄・琉球にはあるのだと思います。しかし、そこにある悲しい歴史も理由の一つではないでしょうか。琉球王国は、歴史的に常に大国の狭間にあって脅され、略奪されながら生きて行かざるを得なかったのです。傷つけられ続けた人々の持つ痛み、痛んできたからこそ湧き出てくる優しさがあると思います。痛みを知るものが中から注ぎ出す共感力のようなものです。聖霊は、そのような痛みと呻きを捉える息吹です。
 イエス・キリストの心を映す聖霊は、強い方から弱い方に吹く風ではありません。主イエスがいつもそうであったように、ガリラヤからエルサレムへ、貧しい者から富んでいる者へ、虐げられた者から権力者へと吹き上げていく霊です。聖霊の風上には痛んでいる者から癒やしを送る風なのです。ジョージ・フロイドさんのことで全米で吹いている風もまた聖霊の呻き、聖霊の風道です。
 「命どぅ宝」。命がなにより大切。それは、神さまの創られた命を取り戻し、もういちど美しく再生しようとする聖霊の風の呼び声です。命を優先させなさい。命のために呻いている聖霊と共に、命のためにあなたも祈り、歩きなさい、そのような風に吹かれているのではないでしょうか。                               了


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-14 08:53:30 (34 ヒット)
週報巻頭言

◇新約聖書の中には、初代教会の伝道の様子を広く俯瞰的に記録したものとして『使徒言行録』がありますが、その中にはパウロの三回にわたる伝道旅行の「道程」も記されています。パウロがどのような経緯でテサロニケに行くことになったかが、その『使徒言行録』の16-17章に書かれています。それによりますと、手前に立ち寄った街・フィリピで、パウロと(相棒の)のシラスは「大きな壁」に直面し、それを超えること叶わず、フィリピを「追放」させられてしまいます。結果としてわずか数日間という短い滞在期間しかすごせなかったフィリピの街で、パウロとシラスは散々な目に遭います。幾人かの理解者たちにも出会うこともできましたが、この街で荒稼ぎをしていた「占い商シンジケート」に隷属させられ、操られ、稼がされていた一人の女性(この女性も厳しいカルト的呪縛を受けて捕らわれていた人物でしたが)を、その精神的な呪縛から解放していくという事件を起こします。この事件によって、パウロとシラスはシンジケートのボスから恨みを買い、(利権癒着状態にあった)役人に訴えられてしまうのです。「ローマの風習を否定する危険人物」という理由づけで公衆の面前で何度も鞭打たれ、その上に投獄され、足かせをはめられ、鎖でつながれてしまいます。無体な仕打ちによって身体に重い傷と痛みを負わされてしまうのです。ところが、投獄中の深夜、その地方を大地震が襲い、牢獄ごと崩壊する事件が起こります。その渦中、パウロたちは逃げ出すこともせず祈りと賛美を続けていたことで、牢屋の看守が深く感動し、感化を受け、牢屋の看守家族がクリスチャンに変えられていくという劇的な出来事も起こります。あれよあれよという間の事件です。しかし、牢獄から解放された直後、パウロが「ローマ市民権」を持っていることが発覚し、フィリピの街の有力者たちはたいへんに恐れおののき、パウロたちは「厄介者」扱いされ、「フィリピの街から出て行ってもらいたい」と体よく追い出されてしまうのです。パウロは、フィリピに来る際、それなりに思い入れを持っていました。「マケドニアでの伝道」を夢に知らされ、満を持して出発した最初の街フィリピであったにもかかわらず、不本意ながらそこにはわずか数日しか滞在できなかったのです。せっかく福音伝道の核となるかもしれない人々との出会いが起こったにもかかわらず、十分に関わることも、付き合いを深めることもできず、引き裂かれるようにしてその街を去らねばなりませんでした。せめて、芽が出るところまで関わって教会づくりをする。そんな手応えも実感も持てないまま「閉め出されてしまった」というのがフィリピでのふがいない経験です。

◇まだ生々しい傷跡と全身の痛みを抱えながらフィリピの街を追い出され、後ろ髪をひかれるような気持ちのまま街道を進みたどり着いたのが「テサロニケ」の街でした。『使徒言行録』17章を読みますと、テサロニケに着いた彼らが、前地フィリピでの苦しみをものともせずに、ユダヤ人たちが集まる会堂に安息日の度に出かけて行っては力強く宣べ伝えたかのように記しているのですが、それは『使徒言行録』の記者ルカが、後に「伝道の力強い広がり」というテーマに即して大きく概観としてまとめた記録だからであって、テサロニケに入って行ったときのパウロの実際の心境・本心のようなものは、むしろパウロ自身がテサロニケの人々に宛てて書いたこの手紙からよく伝わってきます。それがよくわかるのが今日の聖書箇所、今日の手紙の文章です。
 彼はこんな風に書いていますね。「わたしがそちらに行ったことは無駄ではありませんでした」(2:1)と。「無駄ではありませんでした」と(今になって)述懐するということは、正直に言うと、テサロニケの街に入っていくことはパウロにとって不本意なことであり、嬉しいことではなかったということなのです。フィリピに入っていった時のようにこの街での「宣べ伝え」にモティベーションは無かったし、期待もしていなかったのです。むしろフィリピでの傷を引きずりながらたどり着いた街にすぎず、これからもあんな体験を繰り返しすことになるのだろうかとくよくよしている最中だったのかもしれません。この2章1節の記述に続けて「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども」(2:2)と連ね記しているように、やはりフィリピの迫害経験、疎まれ、排斥され、巧妙に追い出されたことについては、かなりのトラウマを引きずっていたことがわかります。多少「やけくそ気味に」テサロニケに来た感があるのです。9節では、テサロニケでは、厳しい「労苦と骨折り」(2:9)をしながら神の福音を語った経験を書き留めていきます。その「労苦と骨折り」とは食住を得るための日雇い労働のことです。決して(過去に他の街でそうであったような)支援者の援助を受けることは無く、きつい労働をしながら証しの活動を続けたことも記していますから、パウロにとって、テサロニケはどう振り返ってみても、痛みや労苦と共にしか思い出せない街なのです。
◇しかし、このフィリピに続きテサロニケで、嘆きを伴いながら過ごした苦々しい経験は、彼にとって実に大切な経験となったのでした。今、新たな伝道地で働いているパウロが、「あなたがたのところに行ったことはほんとうに良かった。無駄では無かった」と感激し、嬉しさのあまり手紙を書き送っているのです。「無駄では無かった」と言うのは、まさしく自分にとって大切な意味を持っていたという意味です。
 間違いなく、パウロは自分のフィリピでの苦しみや屈辱を、テサロニケに持ち込みかけていたのです。心の中に煮え切れない気持ちが湧いていました。「フィリピで味わった雪辱を晴らしたい」「汚名を挽回し、自分の心の傷を癒したい」、そのような、こみ上げてくる人間的な気持ちとの闘いを、パウロ自身が自分の中で経験していたのですし、そうした邪念のようなものを処する、処するというかきちんと折り合っていく術(すべ)を、切実な葛藤の果てに学んだということだろうと思います。3節にあるように「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、ごまかしによるものでもありません。」と彼が書くのは、言っている美しさとは裏腹に、まさしく、こみ上げてきてしかたのない人間的な思いを、彼が自分自身の中に覗き込ませられ、苦悶していた葛藤の証拠です。そのような内面の闘争をテサロニケで経験したからこそ、伝道の「動機」と「中身」を問う意識が彼の中に焼き付いていったのです。
 「神に認められ、福音を委ねられているからこそ語るのであって、人に喜ばれようと思ってしたわけではない」(2:4)と続いて語るのも、まさに、そのことをテサロニケで「自己格闘」していたからに他なりません。自分は何を、誰のために為しているのか。「心を吟味する(見分ける)神の前で、彼に喜ばれるために」(2:4)できていると本当に言えるのか。自己の内面を覗き込みながら自問自答を続けていたのが、パウロのテサロニケでの時間だったのです。この葛藤、この自己格闘、この自問自答が、まさに「福音の宣教」に用いられたのではないのでしょうか。
 彼が、後にテモテをこの街に派遣するほどにテサロニケの人々と深く繋がることができたのは何故でしょう。それは、パウロがこの街に入って行った際に、傷心と痛みとを抱えていたからです。失意に捕らわれ、自信を失いかけていたからだと思います。しかし、その痛みと失意と迷いを受け入れ、傷心の旅人をもてなしてくれる数人の人々との交わりが起こり、そこに聖霊が癒やしと励ましを注いだからではないでしょうか。『使徒言行録』17章を読むと、現地のギリシャ人たちが二人をもてなし、またその証しの聴衆となりクリスチャンとなっています。しかし、ただちに悲劇が起こるのです。こともあろうにテサロニケに住むユダヤ人たちが、敵意をむき出しにし、金で雇った無頼者たちによって暴動を起こし、なりたてのクリスチャンたちを襲い捕縛していきました。そう、フィリピの街以上にひどい仕打ち、テサロニケの人々そのものに迫害が及んだのです。そのような中、テサロニケの仲間たちは、夜の内に、パウロとシラスを脱出させて二人はその街を後にすることとなります。
 パウロにとって、痛みに始まり、痛みながら中断したテサロニケ伝道。しかし振り返ると、その痛みの中から、伝道者としてはもちろんのこと、人間としての大切な「心もち」を学び、痛みの共通経験を通して励ましの共通経験を与えられ、痛みを痛み合うつながりの中で「新しい徴」を見ていけた。消えない希望を知らされていった。今、なお、自分が伝道を続けることができるのは、フィリピで痛み、その痛んだ身体と心であなたがた・テサロニケに出会い、そして一緒にイエスの名をわかちあったからだ。そう告白しているのです。
◇ですから、『使徒言行録』のような伝道者たちの「道程の記録」と、「手紙」のような伝道者本人の心情が滲み出た文書とを重ね合わせ、そこに起こった人間の交わりの実相を想像しながら読んでいきますと、「福音の宣教」というものは、「力強く構成され」「明確に確定され」た言葉を、「知っている者」が「知らない者」に伝授するようなものではないということがよくわかります。また、そこで語られている福音の中身というものが、「信じたら苦しみが取り払われる」とか「信じればあなたの痛みは消え去る」というものでもありません。福音は、成功を志向する言葉ではなく、失敗を退ける言葉ではないのです。福音は、苦しみを防御することを必ずしも使命とはしません。むしろ苦しみの中で、その苦しみを、わかり合えるところまで深め、痛みが共感したとこで、イエス・キリストを見上げ、十字架のイエスからくる慰めをわかちあい、復活のイエスを信じて勇気を与えられていく、福音とは、その「交わりへの招き」のことである、ということです。
 パウロがそうであったように、伝道者は痛んでいるかもしれません。しかし、いつもその伝道者をもてなす人々が共にいて、(共にいることができるのは、それらの人々もそれなりに痛みを生きているからであり)お互いが痛みから出会い、痛みに出会い、痛みに薬を塗ろうと心を傾け、かさぶたが付くのを一緒に見守りながら、人間の交わりを探し求めようとしていくときに、その一人の痛みが、交わりにとっての新しい徴となり、希望の徴と変えられていくのです。傷や痛みが、新しいビジョンが生ずる場となり機会となっていく。十字架のイエスと、聖霊が、わたしたちを、今もその出来事へと招いてくださっています。                            了


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