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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-28 08:58:54 (56 ヒット)
週報巻頭言

◇先日の木曜日の昼前に、嬉しい小包が届きました。開けてみると二冊のアルバムが入っていました。ハンセン病国立療養所・大島青松園(香川県)に生きる写真家、脇林清さんの写真集でした。差別・排斥と隔離収容の島としての大島の歴史のアルバムと、瀬戸内海に浮かぶ自然がそのまま残された美しい島としてのネイチャーフォト集。深い感慨につつまれ、いくつもの思い出がよみがえってきました。
 時代は残酷でした。ハンセン病に感染することで、人間としてのありとあらゆる尊厳を剥奪され、生きてきた意味・生きている意味を否定された人々。「社会」への接触を禁じられ、他人とのディスタンスを強要され、触れあうことを「自粛」させられてきた人々。周囲を海に閉ざされた世界で聖書を読み、礼拝を捧げ、「ここも神の、み国なれば」と賛美を歌い続けた人々。それが大島青松園で私がみた人間の過酷な現実でした。社会の残酷な姿でした。
 少年だった私は、いままで見たことの無い「厳しい生」に心が震えました。と同時に、それ以上に、なぜ、そのような人々が「神を信じ、イエス・キリストを慕うことができるのか」という謎に心を揺さぶられたのでした。大島のクリスチャンたちへの驚きと尊敬の念は、少年だった私を回心させてしまいました。当時、音大に行きたいと思い、音楽高校で学んでいた私でしたが、その進路を変更し、神学校受験へと向きを変えました。私が転身するほどの何かを掴んだのではなく、大島の人々が出会っていたイエス・キリストに、私が捕らえられてしまったのかもしれないと思います。
 私は、それからというもの、月に一度の高松常磐町教会からの礼拝訪問団に毎回加わり、渡船に乗って大島の礼拝、大島霊交会の礼拝に繰り返し出かけていった。しかし、もしかしたら、私にとって神学校への道のりは、大島の人々から送り出されたもののではなかっただろうか、と思ったりもしています。
 1984年。兵庫県伊丹市の教会の牧師になり向かえた就任式。大島の教会員たちからお祝いのカードが届きました。それには、こう書かれていたのです。
「叶君。牧師就任を祝います。
 悩むこと迷うこと、それがあなたが生きているということだ。
 しかし、キリストを疑ってはならない。
 キリストを心の中から葬り去ることは、あなたが死ぬということだから。
 キリストにあって生きる。その意味ある人生を、人々に宣べ伝えるために、
 あなたは、試練を乗り越えていって欲しい。
 キリストにのみ、生きることを喜んでいる大島霊交会一同の
 あなたへの祈りです。」

 キリストに生きてみようとして歩み出したばかりの青年に届けられた、「キリストにのみ生きることを喜ぶことができている人々から」の厳しい人生と信仰の実存とをかけた激励の手紙でした。

◇本日より一週間は日本バプテスト連盟の神学校週間です。神学生たちは必ずしも「若者」とは限らないのですが、きっと気持ちは「若者のように」学んでいることだと思います。若者は遣わされて学びます。若者は迎えられて育つのです。また見て、揺さぶられ、その体験を考え抜きながら「経験」として普遍化(言葉化)するプロセスを自分でたどっていきます。それが成長するということでしょう。若者が見るものは何か。若き伝道者が見るものは何か。それは、イエス・キリストが、厳しさに喘ぐ人々の中で生きて働き、しかし、そこに(キリストが)希望を湧き出させているという事実を見て、希望を語ろうとする宣教者とさせられていくのだと思います。

◇本日は、テサロニケの信徒への手紙一の3章をテキストとしました。もちろんパウロの言葉です。けれども、本日はパウロの言葉に表された彼の思想の方にではなく、この箇所に書き留められているテモテの方に、つまりパウロからテサロニケの群れに派遣されたテモテにフォーカスをあて、想像力を膨らませながら読んでまいります。
 テモテはパウロが大変信頼していた若者です。第二回の伝道旅行の際に、リストラという町で出会いました。父はギリシャ人、母はユダヤ人(ロイス)で、母の影響で幼い頃から旧約聖書を学んで育った若者でした。テモテはパウロと出会うことによって旧約聖書に記されている神の救いの御心が、まさにナザレのイエスという人によって現され、十字架に架けられ復活されたそのイエスこそが「キリスト」であるというパウロのメッセージを、柔軟な感受性で受信し、自分の明確な確信として立ち上がった若者だったと思われます。パウロもまたこのテモテの姿に感銘を受け、その後の伝道旅行に同行させていきます。おそらくは、まだ20代の若者でありました。とはいえ、テモテにしてみれば、パウロに同行したとたんにフィリピでのさんざんな迫害を受け、逃げのびてたどり着いたテサロニケでも、伝道活動にあからさまな妨害が加えられ、身に迫る危険の中、深夜にテサロニケを脱出するという危機一髪の経験もしています。伝道活動とは決して誰にも歓迎される旅行ではないのだ、という厳しい洗礼をいきなり受けながら歩み始めたのがこのテモテです。
 そのようなテモテは、パウロとの道中を共にしながら、師匠パウロのこともよく見つめていたのだと思います。ヒィリピでの投獄の出来事を回想したり、不十分なかたちで切断させられてしまったヒィリピやテサロニケでの伝道を思い巡らせる毎日。しかも、テサロニケでは、未だにユダヤ人たちの執拗な妨害や嫌がらせが続いているようだとの知らせも入ってきます。とても気に病んで、「どうしているだろうか」「キリストは彼らの中に生きているだろうか」と心配し、念じるように祈って過ごしているパウロの姿をテモテはずっと見つめてきました。アテネの町に着いたのち、とうとうパウロ先生が、「テサロニケに行ってみたい」としきりに言い始めた。でも今は、この町で手が離せない。苦悩するパウロと話し合う中で、テモテはパウロの想いを受けてテサロニケに行くことを決断したのだと思います。
「わかりました。パウロ先生、ぼくが行ってきますよ、見てきますよ」。そのように出立してはみたものの、心細かったと思います。恐い思いをしたテサロニケでの騒動を忘れてはいません。命からがらテサロニケを脱出してペレアに到着した時でさえ、そのペレアにまでテサロニケのユダヤ人たちが追いかけて来たのでした。そんな執拗な迫害者たちが睨みをきかしているテサロニケに、彼は遣わされていくのです。「いったいこの自分が、パウロ先生に代わって、テサロニケの人々を励ますことなどできるのだろうか。」心許ない想いとの闘いだったと思います。
 他方、テサロニケのクリスチャンたちにとって、テモテを迎えることはどういうことだったでしょうか。パウロの教えを受けてイエスを信じる者となった結果、仲間は投獄され、自分たちの財産は没収、良くても管理下に置かれる。迫害者たちの嫌がらせはあらゆる生活場面に及んでいる。しかも、イエスの名とその道とを教えてくれたパウロ先生は、もうここにはいない。そのような中を、キリストの力にすがって懸命に「隠れキリシタン」とも言える生活と群れの営みをしている。それがテサロニケの群れの実情でした。「順調に伸びている我々の教会に若い神学生を招いて、奉仕をしてもらい、教会のいろはを学んでもらいましょう」などという高飛車なシチュエーションではありません。「たまには若い人のフレッシュな話を聴くのもいいですね。お招きしましょう。」そんな悠長なイベントではないのです。妨害に翻弄されそうになりながら、必死で生き抜いている、そんな自分たちの全生活を振り絞るようにして、この若い「伝道者の卵」を迎えたのです。そして懸命に繋ぎ続ける交わりの中に抱き込んだのです。
 テモテは、そのような信仰生活の現場の中で問い続けたと思うのです。「なぜ、あなたたちは信仰を捨てないのですか。」「なぜ、信じられているんですか。こんな状況の中で、なぜ、何が、あなたたちを支えているのですか。」一緒に隠れながら、一緒に集まりながら、一緒に潜み、賛美し、祈り、主の晩餐を酌み交わしながら、テモテは、遣わされたテサロニケで、そのキリストに捕らえられた者たちの「厳しい姿」を見たのだと思います。しかし、その厳しさを浴びている人々の緊張あふれる表情が、キリストの名を呼び合うときに、得も知れぬ穏やかさと平安に包まれていく、そんな人間の生命の不思議を見たのだと思います。そして、厳しい人生を生きている人々が、その厳しさの中から放つ優しさと忍耐の力をテモテは見たのだと思います。大島の人々の言葉ではありませんが「キリストにのみ、生きることを喜んでいる」テサロニケのクリスチャンたちの、信仰の迫力を見たのだと思います。テモテは、派遣され、迎えられ、そこで見たもの、感じたもので、育てられたのです。テモテは、まもなくパウロのもとに帰ります。テサロニケの人々の信仰と愛が息づいていることを報告し、パウロを喜ばせます。パウロ自身が7節に記しているように「わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました」(とあるように)励まされているのです。出会いも別れも、艱難も危難も、主の手の中にある、そのことを心底感じ取りながら、パウロは自分が握りしめようとしていた「伝道の成り行き」についても主に委ねることを会得していったのです。と同時に、テモテを派遣して良かった。テモテを育ててくれたのはまさに出会いであった。あの人たちの姿であった。あの人たちを支えていたキリストが、テモテを支え、テモテを育ててくださるのだ、パウロはそのことも確信したのではないでしょうか。
 若者が見たもの。それは、何だったのでしょうか。若者は、何を見たとき、何を見せられるとき、育てられるのでしょうか。今は、新コロナの霧の中で歩む教会ですが、置かれた場面がどうであれ、そこでわたしたちが生きる生き方を、若者たちは見ている。そのことは大切に心にとめていきたいと思うのです。


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-21 13:03:43 (59 ヒット)
週報巻頭言

 「新コロナショック」によって、私たちは思わぬ打撃と揺さぶりを受けました。仕事上、生活上、学業上の異変を強いられ、心身に得も言われぬダメージを被っています。抱えている不安の所在も輪郭も判然としないまま霧の中を歩んでいるようでもあります。
 しかし、そのような中、私たちは改めて明確に捉えるべきテーマをいくつも届けられているようにも思えるのです。
 その内の一つのことが、「私たちは今回のことを通して『人間や社会の安全保障』について考え直さなければならない」ということです。全世界に急速に新コロナウィルスが広がり、いわゆる「先進国」が軒並み機能不全に陥っていく過程を見つめながら、これまで莫大な予算を投じて配備してきたものが、この危機・このパンデミックに対してなんの役にも立たないものでしかないことを知りました。端的に言えば「武力防衛・武力装備」のことです。他方、この予算拡大・獲得のために削りに削ってきた医療インフラや人員削減、その結果として民衆が被った苦しみ・痛みは計り知れないものでした。また、そもそも今日・この世界の対立を深める原因となってきた「新自由主義」が、かなり脆(もろ)いシステムだということも、「マスクがなぜなくなるのか」というとても身近な事実から知らされたのでした。新自由主義も防衛戦略も、どちらも「だめ」でした。
 大切なことは、みんなが同時的に直面したこの事実をきっかけに、大災害や新型疫病の脅威に向き合う時代の「安全保障」を地に足をつけて考え直すことです。できれば、地域レベルの発想、人間の生活と日常活動の視点で考え直していくべきでしょう。国家や国防という次元になると、「わざわざ対立を煽り、事を難しくしておいて、対策に巨費を投じるような茶番劇的な悪循環」が起こってしまうのですが、そのような構造に、民衆・主権者たちの大切な財や能力を搾取され投下されてしまってはなりませんし、未来を創る力を削がれてしまってはならないのです。むしろ地方区域(地域)の中で機能する医療、地域の人間が地域の中で力を奮える福祉(扶助・共助)、地域の中で生産し提供し分かち合える「職や食」、地域の中で災害に備える防災・避難システム、それらを大きく保障していく国家の役割。「安全保障」というものを地域の再創造のビジョンから捉え直していくために、できるところから方向転換していったほうが良いと思います。
 「イージス・アショア」という肝いりの防衛計画が頓挫しました。危険を回避できず、採算に合わず、装備しても役に立ちそうにないから、という理由からです。与党内から撤回を求められても安倍首相が断念に踏み切るくらいですから、「無用の長物」さ加減が甚だしかったのでしょう。「日米安保の中身は要するに武器の『爆買い』なのだ」というお粗末な内容です。しかし、それはこれまでの「原発」事業という国策にも言えることでした。そして辺野古基地建設にも同様のことが言えます。
 軍港としての機能と3000メートル級の二本の滑走路を併せ持つ「本格的・恒久的な米軍基地」を辺野古につくるという計画は、とうの昔、1955年代には既に米軍のマスタープランの中にあり、1966年の海軍及び海兵隊の基地計画書の中には明記されています。それは隠されていましたけれども。1995年に「アメリカ兵少女暴行事件」をきっかけに沖縄県全域で県民全体が沸騰するかのように起こった基地撤去運動を受け、橋本政権とクリントン政権による合意事項として普天間基地の返還が決められましたが、それは代替基地の県内移設を条件とするものでありましたし、その移設先として、既に辺野古は決定済みでした。辺野古は貧しい、辺野古はベトナム戦争の頃の賑わいを取り戻したがっていると米軍は踏んでいました。しかし、辺野古住民を始め名護市・沖縄県民は何度も反対の民意を示し、辺野古基地建設のストップを公約にした玉城デニーさんが県知事当選を果たした直後の2018年12月より強引な埋め立て工事が始まったのです。ところが、埋め立てを始めからわかったことですが、辺野古沖の海底の土壌はマヨネーズのように柔らかく、7万7千本の杭を打ち込んでも70メートルまでしか届かない(軟弱地盤は海面下90メートルあります)不安定なものであることが調査でわかりました。それゆえ基地建設の工期は予定をはるかに超え、また莫大な追加予算を投じても確証のつかない建造物となります。「イージス・アショア」どころではありません。取り返しの付かない泥沼に入り込み、未来に対して、ぬぐうことの出来ない汚物を沖縄の海に残してしまうことになります。今は、まだ工事全行程の2%です。「もう始まってしまった」ではなく、「今なら傷を修復できる」。その今のうちにこの無意味な工事を断念し中止すべきです。
 報道はこの辺野古の海の土壌を「軟弱地盤」と表現しています。しかしそれは、「巨大な基地を建築する」という物差しで語るから「軟弱」と語るのであって、ちっとも悪いことではありません。「軟弱」なのではない。優しい地盤なのです。珊瑚の層を柔らかく支えている優しい土壌なのです。その珊瑚の浅瀬の海をジュゴンが泳ぐ暖かい地盤なのです。そしていま、その土壌、その地盤が、呻いているのです。「基地はいやです」と。「戦争のためにこの海を使わないでくれ。」「戦争や基地を、この海は受け止められない」と、そう言っているのです。
 今日読ませていただいた聖書ロマ書8章には、被造物の呻き、被造世界の苦しみのことが記されています。虚無に服しそうな、滅びへの道に隷属させられる自然世界が呻いているのだと。悪い力に利用させられ、神の祝福の姿を傷つけられている被造物世界がうめき声を上げているのだと。しかし、神の天地創造の思いを吹き込もうとする聖霊が、またキリストの愛と癒やしの思いを吹き込もうとする聖霊が、その被造物の呻きを共に呻き、その解放と回復のために一緒に呻きながら働いていてくださるというのです。「聖霊が共に呻いているとき」なのです。優しく柔らかく暖かい辺野古の海の地盤の呻きを聴き、その呻きと共に触れあって鳴いている聖霊の呻き声を私たちは、心に聴いていくべきではないでしょうか。
 神さまの御業を宣教できるのは人間だけだという思い違いをしないで、この自然世界、被造物世界そのものが神さまの御業を宣教していることに、私たち人間はもっと謙遜になって気づいているべきです。神さまの御業を証する大地や海は、時に呻くのです。時に叫ぶのです。大地そのものが、海そのものが、人間の不正義というか傲慢のために呻いていて、神に叫んでいるのだと。今日は、そのことを心に留めたいと思います。沖縄の海、辺野古の海のことを、私たちは、政治的なテーマのもとで見つめるのではなくて、神さまの創造の思い、聖霊の働き、そして神の御業の証、神の祝福の未来への継承のテーマとして見つめていくことが大切なことだと思います。
 新コロナの悩みに閉ざされる中で、私があたらためて大切なこととして知らされたことの一つに、この苦しみを共感し、互いにその痛さや痛みの裾野を慮り、共感していこうとする「共感力」の大切さだったと思います。このパンデミックの中に、奪われていくものの多さに、閉ざされていく事柄の大きさに、手が出せずどうにもならない不透明さに、私たちの誰もが悩み、不安に包まれ、またダメージを受けてきました。医療従事者の苦闘はテーマ化されましたけれども、実は誰もが苦闘を強いられていたのです。仕事と住まいとの両方をあわせて失っていく人々は、これから加速的に増えていくと思われます。「あなたは何が痛かったのですか。」「あなたはどのようにお辛かったですか。」その一つ一つの痛みに共感する力が、これから私たちがコロナ後の社会を創造していく上で、大切に身につけたい「能力」であると思います。
 相手の苦しい様子を聴いて「辛いね」と言葉をかける。沖縄の島言葉では、そのようなときに「ちむぐりさ(ちむぐるさ)」と言います。とくに沖縄のおばぁたちがよく口になさいます。漢字にすれば「肝苦しい」です。意味は「他人の苦しみ哀しみを知ったときに、自分の肝(きも・ちむ)・はらわたもその人と同じように苦しくなる」という感じです。沖縄の島言葉には、このように「感覚」を他人と共有しあう言葉がたくさんあります。
「肝・ちむ」「心の奥底」が振動するのです。標準語の「肝に銘じる」も沖縄口(うちなーぐち)では「肝に染みゆん(ちむにすみゆん)」と言います。心に刻みつけるのではなく、心を染めてしまうのです。「意識的にそうする」のではなく「自然とそうなる」のです。こういう共鳴、共振、共感が自然と染みるように伝わる感受性を暖かく育ててきた文化が沖縄・琉球にはあるのだと思います。しかし、そこにある悲しい歴史も理由の一つではないでしょうか。琉球王国は、歴史的に常に大国の狭間にあって脅され、略奪されながら生きて行かざるを得なかったのです。傷つけられ続けた人々の持つ痛み、痛んできたからこそ湧き出てくる優しさがあると思います。痛みを知るものが中から注ぎ出す共感力のようなものです。聖霊は、そのような痛みと呻きを捉える息吹です。
 イエス・キリストの心を映す聖霊は、強い方から弱い方に吹く風ではありません。主イエスがいつもそうであったように、ガリラヤからエルサレムへ、貧しい者から富んでいる者へ、虐げられた者から権力者へと吹き上げていく霊です。聖霊の風上には痛んでいる者から癒やしを送る風なのです。ジョージ・フロイドさんのことで全米で吹いている風もまた聖霊の呻き、聖霊の風道です。
 「命どぅ宝」。命がなにより大切。それは、神さまの創られた命を取り戻し、もういちど美しく再生しようとする聖霊の風の呼び声です。命を優先させなさい。命のために呻いている聖霊と共に、命のためにあなたも祈り、歩きなさい、そのような風に吹かれているのではないでしょうか。                               了


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-14 08:53:30 (74 ヒット)
週報巻頭言

◇新約聖書の中には、初代教会の伝道の様子を広く俯瞰的に記録したものとして『使徒言行録』がありますが、その中にはパウロの三回にわたる伝道旅行の「道程」も記されています。パウロがどのような経緯でテサロニケに行くことになったかが、その『使徒言行録』の16-17章に書かれています。それによりますと、手前に立ち寄った街・フィリピで、パウロと(相棒の)のシラスは「大きな壁」に直面し、それを超えること叶わず、フィリピを「追放」させられてしまいます。結果としてわずか数日間という短い滞在期間しかすごせなかったフィリピの街で、パウロとシラスは散々な目に遭います。幾人かの理解者たちにも出会うこともできましたが、この街で荒稼ぎをしていた「占い商シンジケート」に隷属させられ、操られ、稼がされていた一人の女性(この女性も厳しいカルト的呪縛を受けて捕らわれていた人物でしたが)を、その精神的な呪縛から解放していくという事件を起こします。この事件によって、パウロとシラスはシンジケートのボスから恨みを買い、(利権癒着状態にあった)役人に訴えられてしまうのです。「ローマの風習を否定する危険人物」という理由づけで公衆の面前で何度も鞭打たれ、その上に投獄され、足かせをはめられ、鎖でつながれてしまいます。無体な仕打ちによって身体に重い傷と痛みを負わされてしまうのです。ところが、投獄中の深夜、その地方を大地震が襲い、牢獄ごと崩壊する事件が起こります。その渦中、パウロたちは逃げ出すこともせず祈りと賛美を続けていたことで、牢屋の看守が深く感動し、感化を受け、牢屋の看守家族がクリスチャンに変えられていくという劇的な出来事も起こります。あれよあれよという間の事件です。しかし、牢獄から解放された直後、パウロが「ローマ市民権」を持っていることが発覚し、フィリピの街の有力者たちはたいへんに恐れおののき、パウロたちは「厄介者」扱いされ、「フィリピの街から出て行ってもらいたい」と体よく追い出されてしまうのです。パウロは、フィリピに来る際、それなりに思い入れを持っていました。「マケドニアでの伝道」を夢に知らされ、満を持して出発した最初の街フィリピであったにもかかわらず、不本意ながらそこにはわずか数日しか滞在できなかったのです。せっかく福音伝道の核となるかもしれない人々との出会いが起こったにもかかわらず、十分に関わることも、付き合いを深めることもできず、引き裂かれるようにしてその街を去らねばなりませんでした。せめて、芽が出るところまで関わって教会づくりをする。そんな手応えも実感も持てないまま「閉め出されてしまった」というのがフィリピでのふがいない経験です。

◇まだ生々しい傷跡と全身の痛みを抱えながらフィリピの街を追い出され、後ろ髪をひかれるような気持ちのまま街道を進みたどり着いたのが「テサロニケ」の街でした。『使徒言行録』17章を読みますと、テサロニケに着いた彼らが、前地フィリピでの苦しみをものともせずに、ユダヤ人たちが集まる会堂に安息日の度に出かけて行っては力強く宣べ伝えたかのように記しているのですが、それは『使徒言行録』の記者ルカが、後に「伝道の力強い広がり」というテーマに即して大きく概観としてまとめた記録だからであって、テサロニケに入って行ったときのパウロの実際の心境・本心のようなものは、むしろパウロ自身がテサロニケの人々に宛てて書いたこの手紙からよく伝わってきます。それがよくわかるのが今日の聖書箇所、今日の手紙の文章です。
 彼はこんな風に書いていますね。「わたしがそちらに行ったことは無駄ではありませんでした」(2:1)と。「無駄ではありませんでした」と(今になって)述懐するということは、正直に言うと、テサロニケの街に入っていくことはパウロにとって不本意なことであり、嬉しいことではなかったということなのです。フィリピに入っていった時のようにこの街での「宣べ伝え」にモティベーションは無かったし、期待もしていなかったのです。むしろフィリピでの傷を引きずりながらたどり着いた街にすぎず、これからもあんな体験を繰り返しすことになるのだろうかとくよくよしている最中だったのかもしれません。この2章1節の記述に続けて「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども」(2:2)と連ね記しているように、やはりフィリピの迫害経験、疎まれ、排斥され、巧妙に追い出されたことについては、かなりのトラウマを引きずっていたことがわかります。多少「やけくそ気味に」テサロニケに来た感があるのです。9節では、テサロニケでは、厳しい「労苦と骨折り」(2:9)をしながら神の福音を語った経験を書き留めていきます。その「労苦と骨折り」とは食住を得るための日雇い労働のことです。決して(過去に他の街でそうであったような)支援者の援助を受けることは無く、きつい労働をしながら証しの活動を続けたことも記していますから、パウロにとって、テサロニケはどう振り返ってみても、痛みや労苦と共にしか思い出せない街なのです。
◇しかし、このフィリピに続きテサロニケで、嘆きを伴いながら過ごした苦々しい経験は、彼にとって実に大切な経験となったのでした。今、新たな伝道地で働いているパウロが、「あなたがたのところに行ったことはほんとうに良かった。無駄では無かった」と感激し、嬉しさのあまり手紙を書き送っているのです。「無駄では無かった」と言うのは、まさしく自分にとって大切な意味を持っていたという意味です。
 間違いなく、パウロは自分のフィリピでの苦しみや屈辱を、テサロニケに持ち込みかけていたのです。心の中に煮え切れない気持ちが湧いていました。「フィリピで味わった雪辱を晴らしたい」「汚名を挽回し、自分の心の傷を癒したい」、そのような、こみ上げてくる人間的な気持ちとの闘いを、パウロ自身が自分の中で経験していたのですし、そうした邪念のようなものを処する、処するというかきちんと折り合っていく術(すべ)を、切実な葛藤の果てに学んだということだろうと思います。3節にあるように「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、ごまかしによるものでもありません。」と彼が書くのは、言っている美しさとは裏腹に、まさしく、こみ上げてきてしかたのない人間的な思いを、彼が自分自身の中に覗き込ませられ、苦悶していた葛藤の証拠です。そのような内面の闘争をテサロニケで経験したからこそ、伝道の「動機」と「中身」を問う意識が彼の中に焼き付いていったのです。
 「神に認められ、福音を委ねられているからこそ語るのであって、人に喜ばれようと思ってしたわけではない」(2:4)と続いて語るのも、まさに、そのことをテサロニケで「自己格闘」していたからに他なりません。自分は何を、誰のために為しているのか。「心を吟味する(見分ける)神の前で、彼に喜ばれるために」(2:4)できていると本当に言えるのか。自己の内面を覗き込みながら自問自答を続けていたのが、パウロのテサロニケでの時間だったのです。この葛藤、この自己格闘、この自問自答が、まさに「福音の宣教」に用いられたのではないのでしょうか。
 彼が、後にテモテをこの街に派遣するほどにテサロニケの人々と深く繋がることができたのは何故でしょう。それは、パウロがこの街に入って行った際に、傷心と痛みとを抱えていたからです。失意に捕らわれ、自信を失いかけていたからだと思います。しかし、その痛みと失意と迷いを受け入れ、傷心の旅人をもてなしてくれる数人の人々との交わりが起こり、そこに聖霊が癒やしと励ましを注いだからではないでしょうか。『使徒言行録』17章を読むと、現地のギリシャ人たちが二人をもてなし、またその証しの聴衆となりクリスチャンとなっています。しかし、ただちに悲劇が起こるのです。こともあろうにテサロニケに住むユダヤ人たちが、敵意をむき出しにし、金で雇った無頼者たちによって暴動を起こし、なりたてのクリスチャンたちを襲い捕縛していきました。そう、フィリピの街以上にひどい仕打ち、テサロニケの人々そのものに迫害が及んだのです。そのような中、テサロニケの仲間たちは、夜の内に、パウロとシラスを脱出させて二人はその街を後にすることとなります。
 パウロにとって、痛みに始まり、痛みながら中断したテサロニケ伝道。しかし振り返ると、その痛みの中から、伝道者としてはもちろんのこと、人間としての大切な「心もち」を学び、痛みの共通経験を通して励ましの共通経験を与えられ、痛みを痛み合うつながりの中で「新しい徴」を見ていけた。消えない希望を知らされていった。今、なお、自分が伝道を続けることができるのは、フィリピで痛み、その痛んだ身体と心であなたがた・テサロニケに出会い、そして一緒にイエスの名をわかちあったからだ。そう告白しているのです。
◇ですから、『使徒言行録』のような伝道者たちの「道程の記録」と、「手紙」のような伝道者本人の心情が滲み出た文書とを重ね合わせ、そこに起こった人間の交わりの実相を想像しながら読んでいきますと、「福音の宣教」というものは、「力強く構成され」「明確に確定され」た言葉を、「知っている者」が「知らない者」に伝授するようなものではないということがよくわかります。また、そこで語られている福音の中身というものが、「信じたら苦しみが取り払われる」とか「信じればあなたの痛みは消え去る」というものでもありません。福音は、成功を志向する言葉ではなく、失敗を退ける言葉ではないのです。福音は、苦しみを防御することを必ずしも使命とはしません。むしろ苦しみの中で、その苦しみを、わかり合えるところまで深め、痛みが共感したとこで、イエス・キリストを見上げ、十字架のイエスからくる慰めをわかちあい、復活のイエスを信じて勇気を与えられていく、福音とは、その「交わりへの招き」のことである、ということです。
 パウロがそうであったように、伝道者は痛んでいるかもしれません。しかし、いつもその伝道者をもてなす人々が共にいて、(共にいることができるのは、それらの人々もそれなりに痛みを生きているからであり)お互いが痛みから出会い、痛みに出会い、痛みに薬を塗ろうと心を傾け、かさぶたが付くのを一緒に見守りながら、人間の交わりを探し求めようとしていくときに、その一人の痛みが、交わりにとっての新しい徴となり、希望の徴と変えられていくのです。傷や痛みが、新しいビジョンが生ずる場となり機会となっていく。十字架のイエスと、聖霊が、わたしたちを、今もその出来事へと招いてくださっています。                            了


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-06-07 09:14:29 (76 ヒット)
週報巻頭言

  ジョージ・フロイドさんが手錠をされた上に、白人警官から膝で踏みつけられ、「I can't breathe / 息ができない」と呻きながら、まるで虫けらのように殺されていった米国ミネアポリスでの事件を発端に、全米で人種差別へのプロテストデモが勃発しています。黒人たちは、いまほんとうに怒っています。繰り返し繰り返し、あちらこちらで、ただ黒人という属性にあるというだけで、いたずらに危険視され、非人間的に取り扱われ、暴力を振るわれ続けていく。いつ、誰が、黒人だというだけで、白人では無いという理由だけで、道端で踏みつけられ、殺されるかわからない。「もうじゅうぶんだ。もうまっぴらだ。もはやジョージ・フロイドの事件ではない。一人の白人警官の事件ではない。アメリカ社会の事件だ。すべての黒人とすべての白人の事件なのだ。」そのような叫びがうねりとなり、黒人たちだけではなく、その怒りに共感をおぼえる人々を、何より多くの若者たちを駆り立てています。その痛みと叫びの共感、自分のこととして自分自身を奮い立たせながら連結されていく人々の魂の波を、トランプ氏は「暴動」と呼び「暴徒」と呼び「略奪者」と呼んで侮辱し、敵視し、それらを武力・暴力で鎮圧・制圧する自分への支持を得ようと、わざわざ由緒ある聖ヨハネ教会の前にテレビを連れていき、その教会の前で聖書を掲げて正統性を誇示しようとしました。稚拙で愚かしい行為だと思いますが、トランプさんがそのようにしようとしたのは、それまでアメリカ社会は、神の名を持ちだして自己正当化することに成功してきたのです。
 ベトナム戦争に突入するときにも、湾岸戦争を始めるときにも、そしてアフガニスタンやイラクを攻撃を開始するときにも、アメリカの大統領は大衆の面前で祈って見せました。テレビの前で祈って見せました。そして、「アメリカ」は感動し、そこに「御心」と「正義」と「大義」を確信し、無残な殺戮へと進んでいきました。「ゴッド・ブレス・アメリカ」アメリカこそが神の御心の国であると、いつもそれを背に、世界の戦争にいつも必ず首を突っ込み続けてきました。その責任の一端が、そうした大統領の祈りのパフォーマンスにあるとするならば、後の世に対して、なんと罪深い祈りが捧げられてきたことでしょうか。そしてこの祈りは、ほんとうに神とつながる祈りであったのでしょうか。それとも聖霊を冒涜する行為であったのでしょうか。
 福音派の人々は、特に南部バプティスト派の人々は、アメリカの白人至上主義や男性至上主義に固執し、あるいは銃の所持の規制には徹底して反対し、国際的にはイスラム勢力と対峙することに常に賛成をしてきたのです。排外的かつ暴力的な社会の形成に拍車をかけてきました。そもそも南北戦争とは奴隷制度を改めようとする北部と、あくまでも奴隷所有を続けようとする南部とに別れて争った戦争ですが、その南部側のキリスト者勢力、福音派と呼ばれる勢力の中心に、いつも(わたしたち日本バプテスト連盟の伝道母体となった)米国南部バプテスト連盟は位置してきました。南部バプテスト連盟は、今なお、女性が牧師や宣教師となって信仰を導くポジションに就くことを禁じ、性的マイノリテイーの存在を忌避し、教会の中に存在することを拒んでいます。
 そのような南部バプテスト連盟でさえ、今回のトランプ氏の「教会の政治利用」についてはさすがにあきれ、「同意できない」との声明を出し、また「人種差別は改められなければならない」と表明しています。しかし、いったい差別というもののどこまでがだめで、どこからは良いと言っているのでしょうか。黒人差別はだめだけれども、女性の地位は男性ほどに高められてはならないというなら、性的マイノリティーは絶対に認められないというなら、その境目に何があるのでしょうか。その境目にこびりついているものの中に、その信仰体系の本音があるように思えてなりません。潮目の悪いトランプ氏に「見切りをつけること」は、決して悔い改めることではありません。それは不利な要素を切り捨てて自分たちは安全な場所に逃げていくことです。そうだとしたら、「人種差別は許されない」と福音派が表明したとて、それはトランプさんがしてしまった「世論操作」へのすり寄りと本質的には変わらないのではないでしょうか。
 いったい、いま、アメリカ社会は、何を、どこから、どこまで戻って問い直すことを求められているのでしょうか。いいえ、これはアメリカ合衆国にかぎったことではありません。「他山の石」ではないのです。人種差別、民族差別、障がい者差別、貧困者差別、性の違いによる差別はこのわたしたちの日本社会の中にはびこっていて、今回の新コロナ禍でもそうですが、社会にストレスが加わるととたんに「境目」を剥きだしてきます。やっぱり社会的弱者や貧困者は感染のリスクが高いですし、支援からも遠いのです。沖縄の人たちは、どうしてああも顧みられないで放置され続けるのでしょうか。3月末には岐阜でホームレスの老人が5人の若者たちによって殺されましたが報道されませんでした。なぜ放置されるのでしょうか。わたしたちは、わたしたち教会は、「アメリカ」と共に、どこまで遡って自らを問い直し、悔い改め(変革へと向き直る)ていくべきでしょうか。聖霊は、誰に、どこに風を送っているでしょうか。誰が、その風を受けて動き出していくのでしょうか。
 
 ペトロが見た幻はかなり「えげつない」幻でした。神さまの御心、聖霊がペトロに見せた幻は天からふろしきが降りてくるシチュエーションでした。空腹を覚えながら眠りに落ちてしまったものですから、食べることに関係した幻を見てしまったのでしょう。天からふろしきが降りてきて開いてみると、そこにはユダヤ人が律法で食べることを禁じられている動物、地と海と空のあらゆる動物が入っていて、「それを料理して食べなさい」との声が聞こえたのじてす。「私はまかりなりにもユダヤ人です。そんな汚れたもの、卑しいものは食べられません。」と答えると、「誰が汚れを決めるのか。誰が卑しいと決めているのか。神が清いとするものを、神が素敵だとすることを、あなたが勝手に毛嫌いしてはならない」と、そのように叱られる幻です。
 これは、ペトロに、どこから問い直させている幻でしょうか。「好き嫌いをやめなさい」という話でしょうか。嫌だと思うものもがまんして食べられるようにならないと外国人とおつきあいできないよ」という話でしょうか。「外国人の食文化に理解と配慮をしないと外国人観光客が来てくれませんよ」という話でしょうか。そんな上から目線で他人を認めてあげる変化、他人のためにがまんしたり配慮しよう社交儀礼の話でしょうか。そうではないと思います。もっと根本的な捉え直し、抜本的な変革の話です。ペトロ、あなたの、その異邦人に対する先入観はいったい誰がいつおまえに教えたのか。なぜそんなふうに学んでしまったのか。どうして自分を清いと思いたいがために他者を不純だと考えようとするのか。自分の中にある純・不純のものさし、善と悪のものさし、清い・汚れてる、普通・おかしいのものさし、それそのものを全部取っ払ってみなさい。そして、聖霊が起こしてくださる出会いを、まさに出会いとして、その都度、そこでイエス・キリストの心を尋ねて、新しく、大胆に、生きていけるようになりなさい。そのために、いつも自分は不純でしかないと知りなさい。どのみち、人間は誰もが不純なのであって、純粋というものをどこかに決め込み、純然たるものを自分が手にしているかのごとくに間違ってはならないのだ。みな純粋ではない。不純で不完全だ。そして複雑でもある。誰一人として同じ人はおらず、実に多彩だ。同じ単純な言葉やパスコードで言い表せる存在ではない。だからこそ出会い、つながることで、お互いの色彩が広がったり重なったりして、新たな色合いを出すのだ。その出会いと重なりの中で「予期せぬ発見」をしていくというところに、まさに驚くべき恵みが立ち現れてくるのだから、そして、聖霊はそれを、これからペトロ、あなたに引き起こしていくのだから、出会いを楽しめ。そうだ、世界は神さまのふろしきだ。あなたの人生もまたこの神さまのふろしきの中にある。そのふろしきの中身は、あなただけが入っているのではない。あなたがあなたのままずっと変わらず保たれていける世界でもない。あなたは大切な存在だけれど、同時にあなた以外の人々も神の前に尊くかけがえのない存在で、その違うけれども尊い者同士が、出会って、一緒に生き、一緒に存在しながら、神さまの世界を生き生きといけることができるように、ふろしきは、そのような広がりを持ち、ふろしきはそのような包み込みをする。「神さまのふろしきの中身は不純で多彩で豊かなんだよ。」幻はそう言っているのだと思います。

 ジョージ・フロイドさんは「I can't breathe 息が出来ない」と呻きながら、その呻きを繰り返しながら息絶えていきました。新コロナのせいで息が出来なかったのではありません。もっと恐ろしいウィルス、人種差別というパンデミックによって、息ができずに死んでいったのです。
 聖霊は風です。聖霊は息のようです。わたしたちに平安な息、「安息」をもたらせようとする神の息です。わたしたちは一緒に安らかな息を吸って吐いて生きていくために結ばれていこうとしているはずなのです。
 もし誰かが、「わたしは、ここでは、息苦しいです。ここでは、息ができません」と言っていないかどうか。わたしたちのこの社会で、そして教会ででも、誰かが息苦しくなっていないかどうか。そしてその声を聴いたならば、「わたしたちは息苦しいです We can't breath」と感じることができるかどうか。「息をあわせる」「息をあわせてみようとすること」、その「息づかい」は、聖霊を受け、聖霊に導かれて生きていきたいと願っているわたしたちにとって、とても大切なことなのではないでしょうか。
                                了


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2020-05-31 09:18:31 (64 ヒット)
週報巻頭言

 今日はペンテコステです。「聖霊降臨日」です。
 招きの言葉で朗読していただきましたように、主イエスの十字架と復活を経験した弟子たちが、十字架の出来事から50日目に注がれた聖霊を受けて立ち上がり、福音の宣教のために進み始めた転換の日です。この出来事こそが「教会の誕生」だと言えます。
 生前にイエス様が約束していてくださったように、聖霊が弟子たちにくだったとき、弟子たちは思いもよらない変化を与えられました。イエスが十字架につけられていくときには、蜘蛛の子を散らすように逃げていった弟子たちが、復活のイエスによって再び集められ、力づけられ、聖霊の降臨によって堅くされ、立ち上がり出かけていく人々へと変えられました。逮捕の場面では「三度イエスを知らない」と重ねて否定したペテロも、聖霊を与えられることによって堂々と証しを始めています。「ナザレ人イエス、あの方が救い主である。自分はその復活の証人であり、イエスの名によって生きているのだ」と証言するへと変えられていきます。いったい何が起こったのでしょうか。その変化はどのようにしてもたらされたのでしょうか。容貌が変わったのではない。肉体が変化したのでもない。自信がついたというのでもない。いわば霊的に変えられたと言わねばならないのです。それはどういうことなのでしょうか。

 今日は、ヨハネ福音書から聖霊降臨のことを見つめています。ヨハネ福音書は、13章からは、逮捕を間近に控えたイエス様が、読んでいて切なくなるほどに弟子たちを愛され、彼らの足を洗い、心をくだき、思いを尽くして、たくさんの遺言を語られていきます。そしてその「遺す言葉」の中で繰り返し、イエス様は、助け手・聖霊のことを伝えています。まもなく自分はあなたたちの前から取り去られるだろう。それは悲しく寂しいことに思われるだろうが、あなたたちにとって、実は良いことなのだ。目に見える存在としては、あなたたちの前からは取り去られるけれど、わたしが取り去られることによって、弁護者、聖霊の助けがあなたがたのところに来て、あなたがたの目を開き、道を示し、導いてくれるのだ。それは真理の霊だから、わたしのことば、わたしの業の真意を悟ることができるように導いてくれるだろう。そのようにおっしゃったんですね。
 14章16節以下にはこうあります。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」
 イエス様は弟子たちに「『弁護者』『助け手』を送ろう。それは真理の御霊である。」とおっしゃいました。ここで「助け手」「弁護者」として訳されている語は、ギリシャ語で「パラクレートス」といいます。言語的ニュアンスは「そばで呼びかけるもの」という意味です。
 そうです。私たちが聖霊をいただくということは、常に私たちが「そばで呼びかけられる何かによって生きていく者にされた」ということを意味しています。これは、人間像といいますか、生き方を考えるときにとても大きな意味を持つように思えます。神様はいつも聖霊を通して人間に呼び掛けていて、人間とは、その呼びかけの声を聞きながら生きる者なのである、ということです。
「自分が自分が」「自分で自分で」と肩をいからせ、自我を発情させて生きるのでなく、また「自分に自分に」「自分を自分を」と利己的に生きるのでなく、常に、私という人間は、そばで呼びかける某かの声に心を開いて、耳を澄まし、感じ、考え、決断し、生きるものとなるのです。人間が霊的であるとはこういうことです。即物的ではなく、唯物的ではなく、利己的ではなく、霊的であるということはこういうことです。霊的であるとは自己陶酔的な生き方をせず、常に隣人性を持ち、関係性を持ち、できるかぎり利他的であるということです。
 聖霊は、イエス様のことばにあるとおり真理の御霊です。イエス様を捧げてくださった神様のみこころの霊ですから「愛の霊」です。ですから、私たちは、聖霊を受けることによって「真理から呼びかけられ」「愛から呼びかけられる」生活に導かれていくというのです。それは、私たちがどのような場面にあっても、その場面の中で真理を呼びかけている何かがそばにあり、どのような時であっても、その時に「愛に生きてみなさい」と呼びかけている何かがあるということです。
 毎日毎日悲惨なニュースに顔を曇らせているわたしたちですが、新コロナウィルスの霧の中に閉じ込められているようなわたしたちですが、そのわたしたちになおも「神さまのみこころを仰ぎなさい」「愛に生きてみなさい」と呼びかけ続けている何かがわたしたちの傍らにはあるのです。聖霊を受けるとはそういうことです。霊的に生きるとはそういうことです。
 今、この時代。こうした人間の傲慢と愚かさが如実に現れている時代、そしてそれにたいしてあまりに弱い自分自身を感じ、歯がゆくてしかたがない現実もあります。しかし、わたしがどうであろうと「傍らにあって呼びかけてくる助け手」を主イエス様が下さるという約束があり、事実ペンテコステを通してそれは私たちに与えられているということを憶えることができることは何と幸いなことでしょうか。私たちには「助け手」がそばに与えられているのです。私たちがどんなに自分に閉塞しようとも、「呼びかけ手」が私たちの人生にはいつもかたわらに居て、私たちを導き続けてくれているのです。

 弟子たちは、ついにペンテコステの日を迎えます。主がおっしゃったとおり、聖霊が降ったとき、弟子たちの目は開かれていきました。弟子たちは知ったのでした。主の十字架の意味・自分自身のために主が命を捨ててくださったという愛の真実のことを。そして、また復活の力について。彼のよみがえりは、自分自身の命がそれに与るものとされた印だということを。そして主イエスがそうであったように、神の国の約束をあらゆる人に伝え、この世の力の支配のもとで人間の尊厳・霊性がないがしろにされている人々に、解放の約束を伝え、交わりの素晴らしさを伝え、神様の愛に支えられ希望を持って一緒に生きよう、と呼びかけていこう。大きな声で語らずとも、人々の心に触れるようなまごころからの言葉で(心の耳元で)ささやこう。弟子たちは、そのように、世界(というかまずは身近な隣人)に目が開かれ、イエス・キリストを宣べ伝える動機を与えられていきました。
 何を信じ、何をなぜ、どう伝えて生きていくか。新しい確信と生き方が示された。それがペンテコステの日に人々に起こった出来事でした。教会の誕生、それは十字架と復活の信仰がはっきりとし、人々の解放のために働く目的がはっきりとし、心が燃え始めた日のことを指しています。
 わたしたちの信仰生活は、そして市川八幡教会の歩みは、わたしたちが始めたのではなく、聖霊によって信仰へと導かれ、聖霊によって生み出されました。わたしも教会も、今も聖霊に助けられ、守られています。聖霊に支えられています。教会は聖霊に呼びかけられ、また、とりなされて福音宣教を進めていきます。イエス様は、今も私たち教会と共にいてくださいます。教会と共にいる、それは福音宣教の業(解放を宣べ伝える出来事)と共にいてくださるということです。わたしたちは、傍らにいつもいてくださる聖霊に呼びかけられながら、この世にあって、そしてコロナの霧の中にあっても、「霊的」に生きていたい、生きていきたいと思います。

                                   了

                         
 
 


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