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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-12-08 20:13:03 (8 ヒット)
週報巻頭言

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの 言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 (ルカ 1:28-29) 天使ガブリエルは、バビロニア捕囚時代にダニエルを励まし、その祈りに応えて救いの 約束を届け、また彼に深い思慮と知恵とを授けるために遣わされました。神の使いは「平 和と解放の到来」を待望している人々への「しるし」です。それが天使ガブリエルの象徴 していることであり、旧約聖書の人々の信仰も不信仰も、成功も失敗も、喜びも悲しみも、 もがきも苦しみも、やがて天使ガブリエルが届けに顕れる「救いの約束」に向かって、そ の歴史を刻んでいるのだ、と言うことができると思います。 その天使ガブリエルが、500 年の時を隔てて(けれども、救いを待望する人々の信仰と祈 りをとらえ、結びながら)、突然・ガリラヤのナザレに暮らす少女マリアのところに訪れま す。まさに時が満ちて、神が一点を定めて(時間と場所と人物という一点を定めて)出会 ってきたのです。あたかも「突然ナザレ」、「突然マリア」、「突然ガブリエル」のように思 えます。しかし、このガブリエルとマリアの出会いは、長い歴史を束ね、神に信実を込め て祈り続けた少なからぬ人々を抱きかかえ、天地と生命をお造りになった神ヤハウェの深 いご計画が働いて、ある日、ある時、具体的な時間と場所に生きる実際の人間を直撃した、 そんな出来事でした。ここに、神の御心の実現を待ち望んできた人々の、壮大な歴史の「中 心」がつくられていくのです。つまりは、ガブリエルがもはや再登場する必要のないほど 決定的な出来事、すなわち「救い主の誕生の告知」が、この時なされたのだと言えます。 先主日、 「ガブリエルは、今日、誰のところにくるのだろうか」という問いを立てました。 それは、 「再生と解放を待ち望みながら祈りを捧げる人間が、今この時代にどこにいるのか」 という問題意識にもとづき、そのことを強調するために「ガブリエルは誰のところに」と いう問い立てたのでした。しかし今朝は、マリアと共に救い主の訪れの知らせを聞くこと によって、「ガブリエルはもう誰のところにも来ないのだ」と言い直したいと思います。 キリストが与えられたのですから。救い主が与えられたのですから。中心は据えられた のですから。それ故、私たちは、未だ聞けぬ約束・未だ見ぬ赦しに向かって祈るのではな く、また未だ見ぬ希望に向かって待ち続けるのではなく、赦しと救いを約束してくださり、 人間とその世界に再生と解放の希望を与えてくださるキリストをいただいたのですから。 わたしたちの生き方は、ガブリエルを待つ生き方ではなく、イエス・キリストによって立 ち進む生き方へと変えられていくのです。 吉 叶


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-12-01 18:31:52 (11 ヒット)
週報巻頭言

こうして訴え祈っていると、先の幻で見た者、すなわちガブリエルが 飛んできて近づき、わたしに触れた。 (ダニエル 9 章 21 節)
「神の民」を自認するイスラエルにとって、徹底的な挫折感と、出口の見えない閉塞 感を味わう経験が「バビロニア補囚」です。 「この事態に及んだ原因は果たして何なのか。」 「この経験を通して神はイスラエルに何を問いかけておられるのか。」その後のイスラエ ルの思想は「バビロニア捕囚」の歴史的・信仰的解釈の賜物であると言っても過言では ありません。加えて、イスラエル思想にとって決定的な影響をもたらしたのは、まぎれ もなく「出エジプト」です。歴史的にはずっと遡る「モーセの時代」の経験ですが、そ の後「バビロニア捕囚」という「破局」を味わった人々にとって、「エジプト脱出と荒野 の 40 年」は、歴史や人生を見つめる「ものさし」となりましたし、「出エジプト」経験 と「バビロニア捕囚」経験とは大きな線で繋がり、重要な歴史観となっていきました。 過去(経験)を読み解く作業と、今(現実)を解釈する作業を切り結び、さらには未来 に備える姿勢を整えていく。そのためには、その背後にあって、有史以来、歴史を導い ている神の御心を受け止めていく。そのような信仰と世界観・人生観が「ヘブライニズ ム」を形成していったのでした。 さて、『ダニエル書』は、このバビロニア補囚のただ中を、信仰と祈りをもって生きた ダニエルたちの眼を通して、神の託宣を聞き取り、将来に希望を観ていこうとして編集 された文書です。この『ダニエル書』の舞台は、バビロニア捕囚時代(前 587-538)です が、編集され読まれていったのは、紀元前 2 世紀の中盤(前 150-170 年)だと思われま す。それは、聖書の世界、すなわちメソポタミア流域、中東、エジプト、地中海沿岸と いう広大な世界が「世界地図」を塗り替え続けているような時代でした。北王国イスラ エルを滅ぼしたアッシリアの後はバビロニア帝国の支配。南王国ユダは「バビロニア捕 囚」の憂き目に遭います。しかしこのバビロニアを滅ぼすのがペルシャ帝国。さらにそ のペルシャをアレキサンダー大王のマケドニア帝国が凌駕します。しかしアレキサンダ ーの死後、武将たちの血で血を洗う後継争いによってマケドニアは瓦解、四つの国に分 裂していきます。やがて、その戦国時代の中からローマ帝国が登場してくるという歴史 です。ダニエルが見た幻は、それらの大国の興亡、隆盛と没落の様子の予言でもありま した。その幻に苦悩し、歴史をわが身に引き寄せて悔い改め、ひたすら人間の救いと平 和を待望し祈るダニエルのもとに遣わされるのが「天使ガブリエル」なのです。 吉盂


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-11-24 16:24:30 (19 ヒット)
週報巻頭言

イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたし は宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 (マルコ 1 章 38 節)
世界祈祷週間 国外伝道・国際宣教協力をおぼえて “朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈って おられた”(マルコ1:35)このように祈っているイエスのもとに弟子達が駆け寄ってき て言います。「みんなが捜しています」。 主イエスは、この世界のただ中で祈っておられます。時に人々に見いだされない姿で 祈っています。しかし、まさに主イエスはこの声を聴かれるのです。「みんながあなたを 捜しています」。 貧しい人々、苦しんでいる人々、それゆえに憎しみに囚われる人々、自暴自棄になる 人々、戦禍に巻き込まれる人々。逆に、豊かで不自由が無いはずなのに人生に喜びがな い人々。こうしたあらゆる人々が「捜しているのです」「求めているのです」。人間福の 深い本心は、自分も気づかないかたちで、あの方を(救い主を)捜しているのです。「み んながあなたを捜しています」。 この言葉を耳にし、主はまっすぐ立ち上がり、言われます。「近くのほかの町や村へ行 こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出てきたのである。」 貧しい人々に神の国の約束を、孤独な人に交わりを、苦しんでいる人々に平安を、自 分を見失っている人に愛を、闘っている人に平和を、絶望している人に希望を、そして 罪人に赦しを与えるために、 「そのためにわたしは出てきたのだ」と主はおっしゃいます。 主イエスは、今もそこに行っておられます。そこでしゃがみこんでおられます。そこ で祈っておられます。そしてそこで十字架にかかっておられます。さらに、そこで墓を 破り復活しておられるのです。この世界に、キリストは今も生きておられます。私たち は、そのために出てきてくださったイエス・キリストを迎えるのです。彼を見、彼に聞 き、彼を分かちあい、彼の名を呼び、共に生きものとならせていただくために、わたし たちは宣教師を立て、送り出すのです。それは、宣教師を通して教えるためでなく、宣 教師を通して相手を変えるためでなく、宣教師の遣わされる現場で主を捜すのです。主 がそこで生きて働いている姿に出会うのです。宣教師の派遣を通して学び、宣教師の派 遣を通して、わたしたちが変えられるためなのです。 吉 叶


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-11-17 20:45:27 (21 ヒット)
週報巻頭言

十分の一の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。 これによってわたしを試してみよと万軍の主は言われる。(マラキ 3:10)
本日は、スチュワードシップを覚える礼拝として捧げます。スチュワード(Steward) とは執事や管理者というような意味で、聖書では、主人から預けられた宝を用いて働く 人物として描かれていたりします。すなわち、人は、神さまの恵みを預けられ、託され て生きているということが、すべての理解の出発点となります。自分の命も、時間も、 経済も、能力も、「預かり物」と捉える姿勢です。この理解を、自分の人生論や生き方の 姿勢(個人倫理)として捉えるのも良いのですが、さらに、自然環境への考え方や歴史 に対する責任、国家や社会への関与、また自分が生きている身のまわりに存在する人々 (隣人たち)との関係、という包摂的な視点で捉えることが大切だと思います。 以前は、多くの教会の週報には「スチュワードシップ」という欄があって、その欄に は「先週の礼拝出席者数」と「献金額」が記されていました。つまり教会が元気かどう か、教会が使命を果たしているかどうかの「ものさし」が「数や額」で表されていたと いうことです。もちろん、それらの「数や額」に含意されている内実をほんとうに理解 し、互いに支え合ったり励まし合ったりできるなら、それにも意味はありましょうが。 礼拝出席は、自分に与えられている「時間の観念」の指標とも言えます。全ての時間 を「自分(自分に関わること)」のためだけに用いるのではなく、まず神さまを礼拝し(恵 みの与え手の御心を聞いてから)歩みだそうとすること、また隣人や同時代を生きてい る人々のために心を向けたり、実際に時間を使ってみようとすること。そこから自分の 生きる時間を意味づけたり組み立てたり捧げたりすることは、まさにスチュワードとし ての素敵な姿勢です。また献金は「経済の観念」の指標だとも言えます。自分の得てい る経済は、自分が力で稼いだからここにあるのか。自分に力が無いからここに無いのか。 そんな風に経済観念を自己に押し込めないことが大切です。「恵み」は神さまからの託さ れものですから、人間は神さまの被造世界とすべての生命を保全していくために「経済」 を働かせるべきです。けれど、実際の世界・社会は、その経済の独占や不公平な分配、 権力者による搾取と着服などが起こり、とてつもない格差社会を生み出しています。 「自分はきちんと献金してます」で終わること無く、この「被造物の平和と未来」のた めに富や宝が用いられているかどうかに心を配ること。スチュワードシップに大切なの はそうした視点と姿勢ではないでしょうか。 吉 叶


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-11-10 20:03:47 (26 ヒット)
週報巻頭言

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、 と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。 将来と希望を与えるものである。 (エレミヤ書 29:11)
1994 年にルワンダで起こったジェノサイドから 25 年が経ちました。人の身体と心に、 そして社会とその歴史とに途方もない傷が彫りつけられました。果たして加害者(とそ の家族・子孫)と被害者(とその家族・子孫)とが、共に生きていくことは可能なのか、 非常に深い難題が彫り込まれたのです。そのような中、REACH というキリスト教 NGO が「加害者と被害者の癒やしと和解」に取り組むプログラムを始めました。佐々木和之 さんは 2005 年からその働きに参与し、 「癒やしと和解」の実践に携わって来られました。 佐々木さんは鹿児島大学で農業を学ばれ、卒業後は国際飢餓対策機構の派遣員として エチオピアに駐在されました。そこで持続的な農業技術の指導などにあたられ貧困を克 服していく共同体づくりに携わられました。けれども繰り返される戦争によって村々か ら若い命が失われ、また耕した土地が荒れていく事実に幾度も直面されながら、「戦争」 そのものが根絶されないかぎり持続可能な生命の場づくりが台無しになっていくことに 強い問題意識を持たれていきます。そのような時、佐々木さんはジェノサイド事件間も ないルワンダに出会い衝撃を受けます。「あなたは、あの日、どこで、何をしていました か。」ジェノサイド被害者たちからの鮮烈な問いかけを自分自身に向け、「責任」を背負 って改めて米国やイギリスでの学びへと挑まれます。紛争そのものの予防と紛争後の和 解の道筋を研究する「平和学」という学問です。集中的に学び、「博士号」を取得した佐 々木さんは、そのままルワンダに赴き、和解のプロセスに参与し始めたのでした。 佐々木さんは、ルワンダで「和解と癒やしのセミナー」に取り組むと共に、「償いの家 づくりプロジェクト」「養豚プロジェクト」「花畑プロジェクト」などを開発し、自ら現 場でリードしながら、加害者と被害者(とその家族)の“和解のできごと”に数多く与 ってこられました。「悔い改め」と「癒やし」と「和解」と「協働」と「再生」とが密接 に結び合ってもたらされる「修復的正義」という道筋に光をあててこられたのです。 やがて、平和構築にはどうしても教育(歴史を記憶し平和を創造する次世代の人々の 育成)が必要であることに想いを強くされ、2011 年に PIASS(プロテスタント人文社会 科学大学)の平和・紛争研究学科の立ち上げに関わり、周辺諸国からも留学生を受け入 れて、平和構築のための後進の育成にあたっておられます。
               佐々木和之宣教  吉盂雉


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