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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-04-01 06:40:32 (78 ヒット)
週報巻頭言

もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、 『主がお入り用なのです』と言いなさい。 (ルカ19:31)

エルサレム入場、いよいよその時。イエスさまは、弟子たちが借り受けてきた仔ろば にまたがります。鞍も何もありません。弟子たちは思わず自分たちの服を掛けてイエス さまに座ってもらいました。偉いローマ軍人さんたちが入場するときは、いつも行進の 道に赤い絨毯が敷かれます。一緒にエルサレムを目指していた人々は、「せめても」と 自分たちの上着を道に敷いたのです。この部分、人々の、主イエスへの尊敬の行動とし て読むのが普通なのかもしれませんが、弟子たちや、期待してついてきた人々の、「少 しでも威厳を示したい気持ち、飾りたい気持ち」があらわれてしまった部分だとも読め るのではないでしょうか。 オリーブ山の坂を下るとエルサレムの門です。弟子たちは、極度の興奮状態に陥りま す。37節にありますように、「弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のこと で喜び、声高らかに神を賛美し始めた」のです。イエスさまの人間の力を超えた奇跡の 数々を今思い浮かべています。それを重ね合わせています。そしてエルサレムでどんな 力を発揮されるのかぞくぞくしています。この新しい王イエスと並んで自分たちが都 で栄光を受ける時が間近に迫った・・・弟子たちは興奮の絶頂にあるのです。この興奮 は、相当数の民衆にもすでに伝播していたものでした。ルカによる福音書以上に、マタ イやマルコ福音書の方が、たくさんの民衆が熱狂的にイエスの一団を迎え入れたこと が書かれています(時間が許される方は、その並行記事も読んでおかれると良いでしょ う)。 そうした中、仔ろばを所望し、その背にまたがってエルサレムに入っていったイエス さまの目は何を見つめていたのでしょう。イエスさまはその興奮と熱狂の中で何を想 っておられたのでしょう。 弟子たちのこのときの興奮は、やがて水を浴びせられていきます。群衆の熱狂は、わ ずか数日後には罵声に変わります。誤解に基づいた興奮、薄っぺらい熱狂でした。あっ というまにひっくり返る、軽い、残酷な熱意でした。 (協力牧師 吉 叶)


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-03-24 18:43:08 (82 ヒット)
週報巻頭言

実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ17:21)

「神の国はいつ来るのか」というファリサイ派の人の問いに対してイエスさまは、神の国は見える形で来るのではなく、「実に、神の国はあなた方の間にあるのだ。」と答えられました。この「ある」という言葉は現在形です。つまり、今すでに神の国は「ある」と答えられたのです。
しかし現実社会に目を転じれば、そこは経済力や権力、腕力など力による支配が横行し、多くの争いがあります。不平等、憎しみ、悲しみ、不信感の渦巻く中で多くの人が傷つき苦しんでいます。私たちは「神の国」をどこに見て希望をつないでいったらよいのでしょうか。
第2次世界大戦に従軍したイギリス人の若者が、日本軍の捕虜となりタイ・クワイ河の収容所に送られました。泰緬鉄道建築の過酷な強制労働により病に倒れ、彼はごみを捨てるように「死の家」に送られます。彼を絶望の底に追いつめたのは、手当てもされず悪化をたどる病だけでなく、捕虜同士の盗み合い、憎しみ、欺きでした。彼を今まで支えてきた教育、道徳、善意がことごとく否定されたのでした。醜い人間の本性に絶望した彼は、無気力、無感覚となり死臭の漂うその場でただ死ぬのを待っていました。
そのような中、収容所内の彼の戦友が、彼の虫が這う体をきれいに洗い、清潔な寝床を用意し、強制労働の後の疲れた体で、彼に丁寧なマッサージを施し根気強いリハビリを続けてくれたのです。やがて彼の動かなかった手足に感覚が戻り、徐々に生きる気力を取り戻します。ひとりの老いた女性宣教師によりもたらされた神の光が、憎しみと不信に満ちたこの収容所内を少しずつ変えていきます。神の愛を知った彼は仲間と聖書を読み、自分がしてもらったように傷ついた仲間に仕え、ついにこの収容所の中に教会を立ち上げます。
まさに「神も仏もあるものかという」悲惨な状況下にあっても、「神の国」は人の間にすでにあるのです。「神の国」は目立たないかたちでひっそりと人と人の間に打ち立てられ、人と周りを根底から変えていきます。
このような特殊な状況を持ち出すまでもなく、私たちが、礼拝で、祈祷会で、また日常生活の中で、イエスさまのお名前を通して祈る時、もうすでにそこは「神の国」のご支配の中にあります。イエスさまが来てくださったことにより実現した、「神の国」のご支配があまねくこの世に行き渡るまで、私たちは今ある現実に絶望するのでなく、希望を持ってイエスさまに従うものでありたいと思います。
                        (篠塚 薫)                                                                                                                                     


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-03-17 18:39:54 (81 ヒット)
週報巻頭言

主は振り向いてペトロを見つめられた。(ルカ 22:61)

ああ主のひとみ まなざしよ みたびわが主を いなみたる よわきペトロを かえりみて ゆるすはたれぞ 主ならずや (新生讃美歌 486番2節)

今から70年前「この日本を甦らせる道はこのキリスト教にしかない ! 」と確信して入信したわ たしは、「あれでもクリスチャンか」と、世間から後ろ指さされないようにと努力して生きまし た。しかしそんなとき、大方の人達が経験するように、努力すればする程実行できない自分、善 いとわかっていても従えない自分。そんな偽善的な自分に目覚めはじめ、あげくの果ては「こん な醜い自分は、もう教会にいく資格はない」などと、自分を責めるようになっていったのです。 中国山脈のふもとにある故郷・西脇は、11月ともなると大急ぎで冬支度を始めます。しかし、 相も変わらず憂欝なわたしでした。ちょうどその日は、祈祷会がある日だったので、定刻までに は少し余裕があったのですが、ガンバリズムの気持ちで家を出たのです。沈みゆくタ日に映えて、 教会の庭にあった柿の実が燃えるように真っ赤に見えました。どこか遠くで鉄を打つ音が聞こえ ていました。 その時でした、まるで不意打ちのように聖書の一節が胸によみがえってきたのです。 「主、振返りてペテロに目をとめ給う」(ルカ傳22章61節・文語訳)という言葉でした。 全く思いがけない経験でした。「わたしはイエスを知らない」と言ってイエスを三度も裏切っ たペトロに対し、愛と赦しのまなざしを向けられた主イエスのおこころを伝えた言葉でした。 ところが、その主イエスのまなざしが、自己嫌悪に陥っていたこの自分にも向けられ、注がれ ている事に気づいたのです。そのときわたしの受けた衝撃は、少なからず大きなものでした。 茫沱(ぼうだ)として流れくる頬の涙を拭いもせず、教会の祈祷室で書き綴ったのが、この冒頭の 歌詞だったのであります。 (井置 利男)


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-03-10 20:24:21 (125 ヒット)
週報巻頭言

「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」
     とお答えになった。 (マルコ 6:37)

明日3月11日で東日本大震災から8年目を数えます。この8年それぞれどのような歩みだったでしょうか。私は3月11日の被災後、結果として避難所的な働きや地域へ会堂を開いたり、皆様から届いた物資を地域や必要のあるところに運ぶなどの初期の働きから始まり、次第に現地支援委員会、教派間協力、宗派間協力による支援に加わり、「できることはみなしよう」と思いながら4年を過ごしました。阪神淡路大震災を経験した牧師が、ご自分の経験を「引き出されてしまった」と表現した言葉を聞いたとき、自分を振り返って深くうなずいたことを覚えています。その後の埼玉では、病気のため自分の生き死に集中せざるをえない日々でしたが、体力も戻って来て市川八幡教会のご依頼にもお応えできることになり、やっと新たに3・11に向き合う時が与えられたように思いました。実はそれが思いがけずきつい日々になりました。被災後を生き、支援に関わる中で見たこと聞いたことにまつわる感情も含めた諸々が、それぞれの箱を飛び出して押し寄せる感じになることもありました。きっと被災地で「記念日反応」と呼ばれるものと似たものなのでしょう。しかしそれ以上にきつかったのは、被災後の今を直視することでした。8年後の今の現実をそのまま知ることは、同時にこれまでやはり見たくないと思ってきたこと、できれば避けたいと認めようとしなかった姿を突き付けられることでした。けれどもその状態でいる以上、共に生きさせていただくことはできないのです。
 主イエスと弟子たちが、休むために向かった場所にも人々は集まってきました。弟子たちの疲れもよくわかります。しかし、同じ人々を見ていながら、主イエスと弟子たちの間には見て判断したことに違いがありました。主イエスはその人々の「飼い主のいない羊のような有様」という現実を見て、知って、受け止めました。その現実から共に生きようとされる主イエスの「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」の言葉は、弟子たちを試したり諭したりする言葉ではなく、「わたしたち」として一緒に生きていかないか、という呼びかけではなかったでしょうか。
           (ふじみ野バプテスト教会 井形英絵)                                                                                                                                     


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2019-03-03 21:18:12 (104 ヒット)
週報巻頭言

園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。』(ルカ 13:8)

月が改まって、いよいよ2018年度最後の月となりました。
市川八幡教会にとっては大いに揺さぶられ、慌てふためきながら、しがみついたり、とにかく担いだりしながら歩んだ一年でした。みなさまお疲れさまでした。
でも、その市川八幡教会という「いちじくの木」の傍らには、「ご主人様、この木を切らないでください」「どうか、この木をもう少し辛抱して待ってやってください」「この木の世話をわたしがやってみますから」と言いながら懇願してくださっていた主イエスがいたのです。イエス様の「ゆるし」と「とりなし」、ほんとうは、そこにおいてだけ存在させられた教会(わたしたち)だったのだということを憶えていたいと思います。そうです。私たちの2018年度の歩みは、いつもの年以上に、主イエスの必死の「とりなし」が注がれた一年だったのかもしれません。きっと、そうです。傷ついたり、情けなかったり、しんどかったり、それでもばたばたしていたりの一年でしたけれど、イエス様の期待が教会の命をつないでくださったのです。神様の前に、そしてこの街の人々にとって、味わい豊かな実りになるようにと呼びかけ、ただし、「その味の源はここ(十字架)にあるよ」と、自ら痛みながらとりなしを祈って下さるイエス様が、私たちの傍らには確かにいたのです。 インマヌエル、アーメン。
市川市八幡2丁目。この街に植えられて、この街のある部分の土地を所有して、私たちは根を張り、枝を張っています。歴史もそれなりにできました。でも、そうだから私たちは教会として存在している、というようなものではありません。この教会には、イエス・キリストの血が注がれています。そして主イエスの復活の知らせが太陽のように注がれています。実を結べ、人々を生かしめる実を結べと、とりなされ、励まされています。だから、私たちは教会なのです。
 私たちが、私たちの教会という交わりが、主イエスの十字架があってもなくても変わらないような言葉で語り合い、主イエスの復活があってもなくても変わらないような気持ちで進んで行こうとするならば、2019年度の活動計画を、どんなに一生懸命立てても、誰もが何かをしていても、忙しく話し合いをしていても、それは葉っぱばかりのいちじくの木になってしまうかも知れません。
 今週、3月6日より、レント(受難節)に入ります。3月11日には、東日本大震災の記念日も迎えます。いよいよ、人間の愚かさとはかなさに思いを凝らし、主イエス・キリストの慈しみと愛とに深く接続する日々となりますように。 (協力牧師 吉癲ヽ陝
                                                                                                                                     


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