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このサイトは日本聖書協会発行の
新共同訳聖書から引用しています。
聖書 新共同訳:
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The
Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988
投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-02-26 18:00:00 (127 ヒット)
週報巻頭言

ヤコブとケファとヨハネは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。(ガラテヤ2:9)

神に召されて14年、パウロはバルナバらと共にアンティオキアの教会を拠点にした異邦人伝道に励んでいました。ところが、ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言い出しました(使徒15:1)。ユダヤ人にとって割礼は主なる神への信仰と切り離せないので、キリスト教会が割礼を受けていない異邦人を迎え入れていることはユダヤ人の反発を呼んでいたのです。板挟みになったエルサレム教会の苦衷も理解はできますが、異邦人のキリスト者を排除したらパウロは「むだに走った」ことになってしまいます。そこでエルサレム教会との協議が持たれました。
 厳しいやり取りもありました。アンティオキア教会の使者のひとりテトスはギリシャ人であり、割礼を受けていません。「偽の兄弟たち」はこれに反発し、テトスに割礼を受けさせるべきだと主張しましたが、結局その必要はないことが確認されました。アンティオキアに残っている異邦人キリスト者や、今手紙を読んでいるガラテヤの人々は、パウロが屈服したり譲歩したりしなかったおかげで自由を得、福音の真理を喜ぶことができたのです。エルサレム教会の主立った人々は――決してそれ以外の人々を軽く見るのではありませんが――パウロの自由を認めました。つまり (1) ペトロには割礼の者の福音(律法順守を前提とするキリスト信仰)が、パウロには無割礼の者の福音(律法から自由なキリスト信仰)が任されていることの確認、(2) パウロたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々へという取り決め、(3) 困窮しているエルサレム教会のための献金の約束がなされたのです。
 両者の違いは福音理解の根本に及んでいて、容易には埋められない溝があります。その違いを乗り越えて、教会は一致の握手を交わすことを選んだのです。双方にとって、またすべてのキリスト者にとって励ましに満ちた結果となりました。東から西から、北から南から、神は主を信じる者を集めてくださったのです。しかし、話はここで終わりません。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-02-19 18:00:00 (147 ヒット)
週報巻頭言

わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、 御子をわたしに示されました。(ガラテヤ1:15–16)

「人を通してではなく、イエス・キリストと神によって使徒とされた」という冒頭の主張をパウロはもう一度繰り返します。人から受けたのなら、伝えた人に従う立場になりますが、神から受けたのなら神に従うのみです。その証拠となるのが、パウロ自身かつて神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていたという事実です。パウロのような先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心な人々には、律法を守らない「徴税人や罪人」と交わったイエスも、その教えを受け継いで異邦人との交わりに開かれていったキリスト教会も、がまんのならないものだったのです。そういうパウロにわざわざ福音を説こうと思う人はいなかったでしょう。
 転機は神が「わたしの中に」み子を示されたことでした。「ダマスコに戻った」(17節)から見てダマスコでのことと思われます。使徒9章に描かれるような大活劇ではなく、もっと静かなでき事だったでしょうが、ともかく彼はキリストを信じ、福音を異邦人に告げ知らせることが自分に与えられた神の召しであることを認識しました。血肉(人間)に相談することも、エルサレム教会に指示を仰ぐこともせず、アラビアで伝道を始めましたが、アレタ王ににらまれ、次いで戻ったダマスコでもその代官に追い回されるありさまでした(第二コリント11:32–33)。3年たってようやくケファ(ペトロ)とイエスの弟のヤコブに会いましたが、エルサレムを含むユダヤの諸教会の人々には顔を知られていませんでした。信仰も救いも、神の贈り物であることが納得されます。
 この章句はガラテヤの人々に割礼を強要しようとしてエルサレムの使徒たちとのつながりを誇る者たちとの単なる小競り合いにとどまりません。ある人々にとっては、深い慰めであり励ましであったに違いないのです。突然現れた割礼強要者にとまどうガラテヤの人々にとって、また自分の信仰を告白しようとして妨げられ抑圧されていた人たちにとって、いかなる権威にも屈しないパウロの態度は大きな励ましだったでしょう。宗教改革者たちにとってもそうでした。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-02-12 18:00:00 (123 ヒット)
週報巻頭言

あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。(ガラテヤ1:9)

ガラテヤの信徒への手紙は終始緊張した調子で書かれています。パウロは第2回伝道旅行中にガラテヤ地方の諸教会を立ち上げ、第3回伝道旅行の際にも巡回しました(使徒16:6, 18:23)。その後、これらの教会に偽の兄弟たち(2:4)の仲間が入り込み、イエスへの信仰に加えて割礼も受けなければ救われないと言い出します。割礼を受けた人は受けていない人と共に食事ができません。主の晩さんができなくなってしまうのです。この事件がきっかけで救いの本質が明らかにされました。
 エルサレム教会の権威を後ろ盾にする者たちに、パウロは復活されたイエス・キリストと父なる神による召しで対抗します。ガラテヤの人々に「恵みと平和」を祈るものの、普通それに続く彼らについての感謝のことばはありません。ただ、わたしたちの罪のためにご自身をささげられたキリスト、パウロなりに言い換えれば父のみ心に従って悪の世から私たちを救い出されたキリストに感謝するばかりです。キリストの恵み以外に福音はないからです。福音だと称して割礼を売り込む人々は、福音を覆そうとしているのです。「のろわれるがよい」とはあまりな言いかたのように思えますが、これはパウロの個人的感情の問題ではありません。自分自身も、もしほかの福音があるかのようなことを語ったならのろわれてもよいと覚悟してのことです。福音と称して割礼を要求する者たちは、ガラテヤの人々の救いを否定して主の食卓から排除しました。その行為こそ割礼のない人々をのろうものだったのではないでしょうか。人を説き伏せようとしているのでも神を説き伏せようとしているのでもありません。もちろん人に気に入られたいのでもありません。ただ受けたことを告げ知らせるだけです。
 福音を信じることが容易でないのはガラテヤの人々に限りません。ただより高いものはない、幸せになりたければ努力しなければならないと教えられてきたわたしたちも同じです。ほんとうに何もしなくても救われるのでしょうか? パウロがそう思い知ったいきさつを聞いていきましょう。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-02-05 18:00:00 (126 ヒット)
週報巻頭言

お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。(エレミヤ7:3)

ユダの王ヨシヤはしだいに貧困化する農民の生活を立て直し、北王国から流入する難民にも配慮するよい王でした。その治世に神殿から律法の書(今の申命記の一部)が発見されて始まった主なる神のみを礼拝する改革のさなかでわずか12歳のエレミヤも預言者として召されたのでした。しかし、紀元前609年にヨシヤはエジプト王に殺され、農民たちが選んだ新しい王も幽閉されてヨヤキムが王位を継ぎ、改革はことごとく後戻りしていきます。一説には12節まではこの危機的な時期の預言、13–15節はヨヤキムの背信が決定的となった601年12月の預言とされます。
 エレミヤのことばから聞くべきことが三つあります。第1に、「道と行いを正す」ことの根本には「異教の神々に従って災いを招いてはならない」という主なる神の要求があります。先祖をエジプトから導き出してこの地を与えたのはこの神なのですから、それ以外の神々を拝む必要はありません。第2に、しかし「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と唱え、「わたしたちは救われた」と言いさえすればよいのではありません。正義を行い、寄留の外国人や孤児や寡婦を虐げない生活に転換してこそ真の回心です。わたしたちの首から上だけでなく、腹も手足も皆神のものだからです。第3に、過去を振り返ることをやめてはなりません。シロの祭司エリは忠実な人でしたが、ふたりの息子はささげ物で私腹を肥やし、ペリシテ人に神の箱を奪われました。聖所もこのとき破壊されたと推定されます。
 「紀元節」復活から50年、首相や閣僚の靖国神社参拝や玉串料奉納が繰り返される中、エレミヤは多くの大切な示唆を与えてくれます。「個人」を「人」と言い換え、儀礼・習俗の名で国の宗教的行為を認めようとする国は、また国民に領土保全や家族の相互扶助の義務を負わせる一方、公の秩序の名のもとに権利を奪う国でもあります。その行く末を見据え、わたしたちの側も信仰の首の上と下をつなぐ努力をしなければなりません。そのとき「われここに立つ。他になしあたわず」と言い切ることができるでしょう。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


投稿者 : iybpc 投稿日時: 2017-01-22 18:00:00 (149 ヒット)
週報巻頭言

彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました。(フィリピ2:25)

パウロは自分が建てた教会を離れた後もそのようすに絶えず気を配り、必要に応じて訪問したり同労者を遣わしたりしていました。フィリピ人への手紙を書いたとき、パウロは投獄されていました。おそらくフィリピとは海を挟んだ対岸のエフェソでのことであり、一時は「生きる望みさえ失った」(第二コリント1:8)ほど厳しい状況でしたが、23節に「自分のことの見通しがつきしだい」とあるところを見ると、すでに釈放の希望が出てきていたようです。各地の教会を思う気持ちはその間も変わらず、まず信頼するテモテを遣わすつもりでいます。その目的ははっきり書かれていませんが、迫害に苦しんでいるエルサレムの教会のための献金運動や3:2以下にある律法主義者との対決が考えられます。
 しかし、その前にエパフロディトをフィリピに送らなければなりません。彼は贈り物を携えて獄中のパウロに仕えに来たフィリピの教会の使者でしたが(4:18)、大病にかかって命を危ぶまれるほどだったのです。しかし神のあわれみにより、パウロは投獄で自由に伝道できない悲しみにエパフロディトを失う悲しみを重ねないで済みました。予定より早く彼を送り返すことで、フィリピの人々に会えないパウロの悲しみも和らぎます。エフェソまでの長旅も、着いてからの奔走も「キリストの業」でした。その疲れから病んで帰らざるをえなくなった彼を、パウロは「兄弟、協力者、戦友」とたたえ、彼を敬うようにフィリピの人々に勧めています。
 ローマ帝国内のキリスト者の人口など、今日の日本のキリスト者人口にも及ばない時代です。教会はつながり合わなければ生きていけませんでした。しかし、イエスの愛の教えは教会の生き残りに確実に寄与しました。その教えを実践したパウロの貢献も忘れることはできません。手をつながなければ生きていけないのは、今のわたしたちも同じです。千葉県内の教会、首都圏の教会、全国の教会が協力しなければできないことがたくさんあります。つながりを与えられている諸教会のために、またその間をつなぐ働きをしている使者たちのために祈りましょう。(高市和久)

♪ 今週の賛美歌を聞く 


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